南北戦争:ウィリアム・ローズクランズ

bqsfgame2009-01-12

ローズクランズは、それほど著名な将軍とは言えないし、上司であるリンカーンやグラントの評価が低かったようで、そのことが無名さに拍車を掛けている。
彼はウェストポイントを5位で卒業しており、実は南北戦争で士官候補生が払底していた状況下にあっては末席の卒業生でさえ将軍になっている(ピケット、カスター)事例があるほどであり、その意味では優秀な成績の持ち主と言って良いだろう。戦前は鉱業会社の経営に携わり、戦後は政治家としても活動した。不幸なことに折り合いが悪かったグラントが大統領になったことで、彼の政治家としてのキャリアは大成しなかった。
ローズクランズは戦争初期にはマクレランの下で頭角を現し、第一次ブルランの大敗で北軍が指揮系統を一新したときに西部戦線で自分の部隊を率いて指揮する立場になった。コリンス方面作戦では一定の成果を収めたが、追撃によって勝利を拡大する積極性に欠けるとの指摘を上司のグラントからは受けている。
その後、ストーンズリバーの戦いで宿敵となるブラッグ将軍と激しい消耗戦を戦いながらも踏み止まり、タラホーマ作戦では機動による鮮やかな勝利を挙げブラッグをチャタヌーガまで後退させた。
この勝利を踏まえてローズクランズは、次の戦略目標であるチャタヌーガへの攻勢に移った。ローズクランズは状況を楽観しており、3つの経路に部隊を分散させて進んだ。これが南軍に格好の各個撃破の機会を与えることとなってしまった。また、折悪しくも、南軍はブラッグの部隊に、ジョンストン軍からウォーカー、リー軍からロングストリートを増援していた。
チカマウガの戦いは両軍にミスが続出しており、南軍は各個撃破を実現するための素早さに欠けていた。しかし、戦闘が始まってからのローズクランズの命令は的確さを欠き、戦線にギャップを生じさせてしまった。このギャップをロングストリート部隊に衝かれて北軍は一気に敗勢となった。北軍が崩壊しないで済んだのは、チカマウガの岩山と名付けられることになったトマス部隊の頑強な防御によるものだった。ローズクランズのカンバーランド軍はチャタヌーガの街に篭ることになり、そこで包囲されてしまった。