なつかしの昭和プロレスラー:ドクターデス

bqsfgame2011-02-14

近年、ほとんどプロレスを見なくなったが、昭和時代はかなり良く見ていた。
筆者の世代は昨今、世を騒がせている伊達直人タイガーマスクの世代に当る。そんなこともあって、特に覆面レスラーには思いいれがあった。
当時、新日本プロレスに来ていた覆面レスラーで頻度的にも実力的にも一番上だったのがドクターデス。「ドクターデスと言うとスティーブ・ウィリアムス」と言うのは、筆者よりだいぶん若いプロレスファンの方だと思う。
このドクターデスは当時、欧州で実力者として知られていた覆面レスラー、ドクターデスのコピー版で、中身はカナダの大型パワーファイターのムース・モロウスキー。コピーではあったが、当時の新日本プロレスのレベルにはあっていて、結構、活躍した。後には国際プロレスに登場して、新進エースのラッシャー木村と日本初の金網デスマッチを対戦する。
最後の来日は全日本プロレスの春の本場所、第9回チャンピオンカーニバルで、この時は覆面レスラー、アベンジャーだった。ブッチャー、ブロディに加えNWA王座経験者のブリスコなどもいたのでアベンジャーの対戦がTVに映ることはなかったが、ミック博士の昭和プロレス研究室のデータを見ると、10点を上げており、既に下り坂での成績としては立派なものだ。
新日本時代も国際時代も黄色覆面のバスター・マシューズを良く従えて来ていた。