○存在の書を読む

bqsfgame2006-04-11

ワトスンの黒き流れ三部作の完結編である。
いくつかの論点があると思うので順に書いていこう。
1)三部作は全体として一つの作品であるという主張。
これはその通りだと思う。此処まで読み終えると、作者の構想・構成は全体を一つとして考えているとしか言いようがない。ただ、読み手の立場から見ると意見は異なり、「川の書」だけを独立長編として読んだ方が広い読み手が楽しむことができるだろう。
2)異世界ファンタジーとしての魅力。
これは文句なしで、「川の書」は異世界ファンタジーとして素晴らしく良く書けていると思う。最後の解説でも触れられているように川の禁忌のため女性優位の社会になっており、その点を細かく気を使って描いてあるというのは言われてみて納得する部分も含めて丁寧な良い仕事だと思う。
3)奇想小説としての魅力
異世界ファンタジーの見せ掛けで始まりながら「星の書」では「マトリックス」を思わせる現実の綻びから銀河レベルの破局の危機へとストーリーが展開する。「存在の書」では「発狂した宇宙」なオチへと繋がる。そして、最後に良い世界を選択した結果として冒頭の異世界ファンタジーな世界が、さらに魅力あるものとしてワンシーン描かれて終わる。
4)様々な作品をリマインドさせる多面的な作品
川ということもあってファーマーのリバーワールドシリーズを連想させる「川の書」から始まって、「マトリックス」三部作、さらに「存在の書」ではクリス・ボイスの「キャッチワールド」を連想させてくれたりもした。そして最後は良い方向へ世界が動き続ける質感のあるブリティッシュファンタジーという点でキース・ロバーツの「パヴァーヌ」を連想したりもした。
様々な要素を含んでいるが、単一の解釈に収斂するような書き方は避けて、いろいろに取れるように焦点を外して読者に投げて見せているという感じも受ける。その意味で「すっきりしない」感は、かつてのサンリオの「マーシャン・インカ」などと三部作の終わりにいたっては同じである。ただし、サンリオ当時にはそれをネガティブにしか受け取れなかったが、今回は存分にワトスンの筆力を見せてもらったので、筆力がなくて収斂させられなかったのではなくて、意図的にそういう風に書いているのだという印象を受けポジティブに感じることができた。もしかしたら「マーシャン・インカ」や「ヨナ・キット」も認識し直して再読すると評価が大きく変わるかも知れない。
いずれにせよなかなか一筋縄では行かない。とまれ、なぜワトスンがイギリスSF界でプリーストと並び称されているのかは以前よりは納得がいくようになった。