ウィーザピープルの魅力

1)なんと言っても短時間でプレイできるプレイアビリティの良さ
2)植民地独立戦争という題材にあって、イギリス軍とアメリカ軍に顕著な差異があることがゲームシステムに反映されている。つまり、できることが大きく異なっている。
2A)アメリカ軍は英軍支配でさえなければ13州のどこからでも湧いて出てくる。アメリカ軍だけが戦闘前退却やインターセプトが実行できる。アメリカ軍は勝利条件の要となる州の支配のためのPCマーカーを英軍支配以外のところなら自在に置くことができる。
2B)イギリス軍は強力である。しかし、増援は港にしか到着せず、指揮官は鈍重で戦闘ルールでも融通が利かない。なにより、英軍はPCマーカーを置くのに既存のPCマーカーに隣接したところに1個ずつ(つまり一回の手番で連鎖的に置けない)しか伸ばすことができない。
と言うのが素晴らしいだろう。
プレイアビリティの良さについては、先の項で述べた弱点、捨てるしかないカードがあることや、カードの使い方が限定されているということはむしろメリットになっている。考える負荷がずっと軽いのである。
同時に人気の高い「ハンニバル」と比較した時に、勝敗の要となるPCマーカーの配置まわりの綾が、実は「ウィーザピープル」の方がずっと面白い。「ハンニバル」ではPCマーカー配置は意外に煮詰まりやすく、一旦、煮詰まってしまうと流動性が低くなってしまいゲームとしては少しつまらない。それに対して「ウィーザピープル」では、孤立による除去というルールがあるため、一旦、盤上にPCマーカーが増えても、再び空白区が生じるようになっている。これに空白区がPCマーカーの維持条件に使えるという独特のルールと、アメリカはどこにでもPCマーカーを置けるというルール、そしてイギリスは1個ずつしかPCマーカーを伸ばせないと言うルールが絡んで、ゲームプレイ的にはずっと面白い。
もちろん、この面白いプレイが何をシミュレートしたものなのかということについてはミクロ的には疑問もあるのだが、全体としては植民地での両軍の立場の違いを反映した雰囲気を作り出せているように思う。アメリカ軍は、イギリスの軍や港湾を基点としたPCマーカー連鎖を部隊を用いてどこで切るか、そして切ったイギリスPCマーカー軍を窒息させるために、それに隣接した空白マスにアメリカPCマーカーを置いていくか、ゲームテクニカルに非常に悩ましい。もちろんイギリスはそうされないように逆の悩みを持っている。結果として、イギリスは自軍のPC連鎖を切るアメリカ軍を排除するか、孤立した自軍PC連鎖を支えるためにそこに部隊を派遣するようになっていく。ゲームシステムはともかくとして、それを運用して発生するプレイの悩みや醍醐味は、いかにもそれらしい。
その意味では些か抽象的ではあるかも知れないが、「ウィーザピープル」は個人的には高く評価したい「木を見るのではなく森を見たデザイン」を実現しているゲームと言えるように思う。
独立戦争のガジェットまで含んだ似たようなスケールのゲームとしては、「ドルイド」システムのS&T誌の「13コロニーズ・イン・リヴォルト」がバーグ大先生のデザインであった。ただ、比較して考えてみると、シンプルで面白かった「ドルイド」のシステムを流用しながら、なまじアメリカの戦争であるために多くの史料がある独立戦争では枝葉に囚われて全体を見失ってしまったのが「13コロニーズ」だったかという気がする。
そこまで考えてみると、「ウィーザピープル」は年月による風化を受けてはいるが、今でもプレイして面白い現代に通用する傑作だという気がする。
可能なら是非とも全面改訂したニ版が出て欲しいものだ。そうする価値があるゲームだと思うのだが‥。