フォーザピープル1861-62をソロプレイ

bqsfgame2006-11-27

先日の彗星さんとの対戦を踏まえて、最初の2年をまとめてソロプレイしてみた。
●1861年春
南軍はケンタッキー州を制圧、そこを通過してAジョンストンがインディアナ州の入口ブルーミントンまで侵入した。北軍としてはケンタッキー州の二本の回廊のところで押さえたかったが、侵入されてしまったため効率よく止められるポジションを失してしまった。北軍は何をしていたのかと言うと、ウェストヴァージニア州の確保を目指し、また東部戦線での側面迂回を避けるべく同州からの侵入路を封鎖した。また、海では第一段階のブロッケードを実施したので、総合的に見て悪くないスタートだったかと思う。北軍100-対南軍110+
●1861年夏
北軍は増援をブルーミントン周囲に送ってAジョンストンの動きを止めようとしたが、戦闘になると将軍のいない兵力では将軍のいる軍を止めることはできなかった。結局、Aジョンストンはインディアナオハイオの3ボックスずつを蹂躙してさらにペンシルヴァニア州まで押し進んだ。これはとても放置できず北軍セントルイスの兵力を西部総司令官としてバーンサイドにまとめさせた。2の作戦値とインターセプトの可能性をもたらす防御修整を併せ持った彼は北軍にとってはこの時期はエースであり、最善を尽くした対応だったかと思う。バーンサイドインディアナ州は奪還に成功。しかし、オハイオのペナルティは受けることになり、北軍93-対南軍125+
●1861年秋
この第3ターンに増援が来ないことは北軍にとって改めて非常に痛いことを思い知らされた。機動に劣る北軍人海戦術で南軍の蹂躙を止めたいのだがそれができない。そうなるとバーンサイドが頼みだが、彼なりに期待に応えてくれて掻き集めた兵力で敵地で増援を得られないAジョンストン軍を追撃してオハイオを奪回、敵にウェストヴァージニア経由でヴァージニア州への自主退却を強いることができた。北軍はさらにウェストヴァージニア州の確保を完了することができた。北軍93-対南軍125+
●1862年春
Aジョンストンは一旦南部州に撤退して増援を得たので再びペンシルヴァニア州に侵入してきた。バーンサイドが応戦するも戦力差が決定的でない局面ではバーンサイドでは押し切れずペンシルヴァニア州のペナルティを受けることになってしまった。南軍はSW的に余裕があり、北軍の悪あがき上陸作戦の可能性も封じるべくアイアンクラッドを相次いで配備した。北軍88-対南軍133+
●1862年夏
北軍バーンサイドが敵地で補充を受けられなかったAジョンストン軍を排除することに成功した。南軍は兵力損耗の補充が効かないので2ターン以上続けて北部州に留まるのは難しいことが見えてきた。北軍はSWで劣勢なため、シナリオ勝利条件である終了時に南軍がSWで上回っていることを阻止するため、ポープに新たな軍を編成させてケンタッキーへ侵入した。しかしながら、南軍にはついにジャクソンが登場し、ヴァンドーンと共に西部に作戦値1の軍隊を2つ持つ体制を確立されてしまった。ポープも作戦値2で北軍初期の将軍としては腰が軽い方だが、ジャクソンとヴァンドーンには及ぶべくもない。一旦、ポープが押しても、南軍は別の回廊まで機動迂回して北軍のいないところで押し返してくるのだ。ケンタッキー州奪回はポープ一人の力ではとても実現できない。北軍84+対南軍132+
●1862年秋
しからばと、北軍はポープに最大限の兵力を集めてジャクソンとの直接対決でジャクソン軍を粉砕して得点を得ようとした。しかし、ジャクソンの戦術的才能は高くポープは戦力で勝りながら敗北、この敗北は北軍の戦意をさらに削ぐこととなった。ポープは捲土重来を期して奮戦したが、これも決定的勝利を得ることが叶わず、北軍71-対南軍130+となり、ダブルスコアによるキャンペーンサドンデスというところまでは行かなかったが、1862年末の判定としては南軍の圧勝となった。