哲学的な命題

此処まで考えてくると、ドーマン教授の方法でさえ、本当に脳の中で起こっていることを計っている訳ではないことが認識されてくる。そうすると、こういう疑問が湧いてこないだろうか? もしレオナルドダヴィンチやアインシュタインのような優れた頭脳の持ち主が、話すことも、書くことも、身振りで意思表示することもできなかったとして、彼らの頭脳の中にある素晴らしい思考をアウトプットとして出すことがまったくできなかったとしたら、それでも彼らは高い知能を持っていると言えるのだろうか?
哲学の命題で、山奥の大木が倒れ大きな音がしたが誰一人聞くものがなかった。果たして音はしたと言えるのだろうか?‥というものがあるが、これの知能版である。わたしの答えは、知能はあるし、音もしたのだと思う。
ただ、残念ながら何のアウトプットも世の中に残せないのだとすれば、ダヴィンチもアインシュタインも歴史には残らなかったろうし、音もただ空気振動から熱エネルギーに変わって終わりだろう。ただし、だからと言ってそれらがそこに存在したという事実は失われたりはしないだろう。後はそのことをどのように感情的に意義付けしてやれるかどうかという「人間の問題」に帰結するのだと思う。