×ウィザードを読むが途中で挫折する

bqsfgame2007-11-25

ジョン・ヴァーリイのガイア三部作の第二部。本国では1980年に発行され、日本では1994年に忘れられた頃に発行された。未だに日本では第三部は未訳。
今回、初日で上巻の半分過ぎ200ページほどまで読んだのだがドロップダウンすることにした。一日で200ページまで行くのだから読みにくいわけでは全然ない。
しかし、読んでいて不愉快なことが多く止めてしまった。
ティーターン」の最後で感じた不安が最初から次々と現実になっていく。
もう一度復習だが、「ティーターン」は土星軌道上に発見された新衛星が巨大人工物らしいというオープニングから、これに接近した探査船が構造物の攻撃を受けて衛星上に墜落してしまう。目覚めた乗員たちはバラバラになっており、それぞれに何者かの改変を受けた形跡が窺える。主人公である女船長シロッコは、もう一人の女性乗員ギャビーと共に回転する環状構造体の円周地表から、制御があると思われる中央部へと巨大な柱を登り始める。
と、此処まで粗筋を書くと凄く面白そう。実際ここまでは良かったのだ。
ところが、エンディングでは登場する中央部にいる存在はまるっきりオズの魔法使いの現代版のできそこない。衛星に寄生する巨大生命体の代弁者であるオバサンが登場し、地球のTV電波を愛聴して作った地球文化のカリカチュアを自分の中に配置して道楽をしているのだと告げる。この生命体は高齢化により各部の制御ができず部品の反乱を受けて世界は渾沌としており、その世界の中を冒険してきたものにご褒美として奇跡をプレゼントしているのだという。
「ウィザード」では、ガイアが地球文明とすっかり関わるようになり国連に認められケンタウロスの大使を地球に送り込み、地球から観光客と奇跡を求める挑戦者を受け入れるようになっている。なんと俗化された巨大宇宙構造物、冒険、奇跡、神だろうか?
「スチールビーチ」や「ミレニアム」でも感じたが、ヴァーリイは極度の人間不信、世界不信、神不信に陥っているのではないかという気がする。登場人物たちの多くは心に深刻な傷を負っており、それは人間に止まらず世界を統べる神やコンピューターにまで及んでいる。冒険や奇跡というものの価値も蔑まれて退屈しのぎの遊びのように扱われている。
読んでいて浪漫のかけらもなく、非常に不愉快になることこの上ない。それでいて筆力だけはあるのでそれなりに読ませるのだから、身についた芸というのは意外と錆びれないものだとは思う。
個人的にはもう一度本書に挑戦することはないと思うし、第三部が訳出されないのは当然だと思う。「ゴールデングローブ」や「マンモス」と言った近作も訳される気配はないが、原書を読んだ人のコメントを見ると本書の延長線上にあるようだ。残念ながらヴァーリイは初期の傑作短編群を残して既に終わってしまった作家なのかも知れない。