インストラクションの努力負担が偏在していないか?

上述のようにインストラクションと言うのは事前の努力を要求すると考えている。したがって、インストラクションをする人はゲーム会の時間とは別に、自分の生活の中で時間をやりくりして準備をしていると思う。
飽くまで個人的な意見ではあるが、そうした努力が一部の人にだけ偏在しているような気がする。逆に言えば、「ゲーム会と言うのは、『体』と『ゲームをやる気』さえ持っていけば、ゲームも、インストラクションも、対戦相手も準備してくれるものだ」という認識の人は少し考え直してみて欲しいように思う。
もちろんゲームという趣味は対戦相手がいないと成立しない訳で、ゲームを持ってこなくても参加さえしてもらえればありがたい‥というのがゲームサークル側の事情としてもあるだろう。また、ゲームという趣味を活発化させることで、回り回って自分がゲームを楽しむことができるというのも真実だと思う。中には自分が好きなゲームを布教することそのものが嬉しくて嬉しくて‥という人もいるに違いない。
ゲームに対する関わり方の程度によってそれぞれの事情はあると思うが、ある程度までゲームに関わりが深くなり、とりわけ準備に労力の掛かる重いゲームをプレイするようなメンバーになってきたならゲーム準備の労力の負担が著しくアンバランスにならないようにということも考えてみて欲しい気がする。