ゲームジャーナル30号を入手

bqsfgame2009-03-10

付録ゲームは第一次大戦戦略級の「西部戦線異状なし」だ。ふーらー中村氏が、どうやらデックメイキング系のエリアインパルスでデザインしているようだ。システム的には「秀吉頂上決戦」の延長線ということになるのだろうか。
本号の白眉は、「ゲームの鉄人:空母戦対決」と、「正しいデベロップとは如何なものかと」の対談記事だろう。
いつも対談記事は盛り上がるのだが、今回は特に中村氏の視点が非常に面白い。
これまでゲームデザインにおいては、デザイナーの視点と、プレイヤーの視点ということが言われてきた。今回はデベロップという話題もあって、デベロッパーの視点というのが議論の対象になっている。
このときに他のパネラーがデベロッパーはデザイナーのアシスタントか、プレイヤーの代表者かという議論をする中で、中村氏は違う観点を切り出している。
誤解を承知で端的に言ってしまえば、デザイナーは「作品」としてゲームを見ている。自分の作品なのだから愛着があるし、その完成度が重要であり、自分の作品である以上は良くも悪くも自分のものである。
それに対してプレイヤーは「製品」だと思っている。「製品」であるから、顧客満足度という観点で議論をしている。満足のいかないものは、不良品と言うか駄作と言うか、要するにそういう評価になる。
それに対して中村氏の指摘は、GJ編集長として、またゲームデザイナーとしてアメリカにライセンスを出す立場として経験が深い人ならではの視点になる。彼は「商品」としての視点が中間に存在すると言う。
つまり、ビジネスとしてゲームの出版が成り立つためには、「商品」として良いものでないと続けられないという指摘である。
いかに「作品」として優れていようと、「製品」としてゲーマーを満足させられようとも、「商品」として中間のメーカーに利益を落としていくことができなければビジネスとして成立しないし、将来的に継続させることができないということである。
興味深い事例として、激闘マンシュタインは、日本のGJの付録のときには雑誌付録としてのサイズ制限でカードの枚数が減らされた。ところが英語版でボックスになると、製品としての割高感を薄めるためにカードが増やされたという。いずれも「商品」としてゲームをパブリッシュするために必要な方策であり、それは「作品」としてとか、「製品」としてという議論とは別の視点でゲームの仕様をしばしば決定付けることがあるというわけだ。
中村氏の視点に立つとデベロッパーは、「作品」と「製品」の間を橋渡ししながら、それを「商品」として成立させることが仕事ということになる。これは、デベロッパーはデザイナー側かプレイヤー側かという二者択一ではない視点を生んでおり、しかもどちらにもできないことをやっているという指摘で興味深い。
また、中村氏が権限の所在は責任の所在と連動すると強く指摘しているところも興味深い。個人的にメールのやりとりなどをしていても思うのだが、中村氏にとってゲームはビジネスであり、職業人としてきちんと取り組んでいるということをしばしば強く感じる。
そこが、往々にしてゲーマーという買ってプレイするだけの立場の自分などとはゲームを見つめる姿勢が違うな‥と感じさせられるところである。今回の記事ではそうした面が行間に見て取ることができる貴重な機会となっており、非常に興味深かった。
是非ともそういった視点も頭に入れて記事を読んでみて欲しかったりする。