B級SFゲーム分科会以前の時代 その6

bqsfgame2009-09-27

人生で一番ゲームをしていた時期と言うのは、パソコン通信ニフティサーブが立ち上がり始めた頃だった。
今の若い人にはパソコン通信といっても分からないかも知れない‥(^_^;
黎明期のニフティサーブでは、メンバーがフォーラムを自主的に立ち上げ、自主的に運営していたので、独特の熱気があった。ニフティサーブのゲームフォーラムでは、わたしが参加した当時はシスオペが消息不明で、サブシスの方が仕切っている状態だった。
しばらくして正式にシスオペが交代することになり、中京圏EBAさんが担当されることになり、それを補完するような立場でウォーゲームやトレーディングカードゲーム周辺のところを担当するような形でサブシスを引き受けることになった。
当時は非常に熱心に活動していて、目黒のJAGA、蒲田のCADET、佃のボードウォーク、高田馬場のなかよし村、それに加えてFGAMAのオフ会など、毎週のようにどこかでなにかしらのゲームをしていたように思う。
最初にCADETにお邪魔したのは、FGAMEの7番会議室で英語版COMMANDの最新作をプレイしようという話題になって、亡くなられた越田さんからお誘いをいただき久が原駅の改札で待ち合わせたのを記憶している。その時の最新号は、当時は不人気テーマだったWW1の1918だった。このゲームでWW1とデザイナーのレイサーは大ブレークすることになるのだが、それはまた別の話し。