アクロスザポトマックへ向けて:フッカー

bqsfgame2009-12-23

12月の千葉会で「アクロスザポトマック」を対戦する企画が浮上してきた。
http://d.hatena.ne.jp/bqsfgame/20060924
上記のショートレビューにも書いた通り、1863年6月3日から、ゲティスバーグ戦役の決着が付くあたりまでの50日間をプレイする戦略的な作戦級で、なんとダブルブラインドゲームだ。

●ジョセフ・フッカー
問題とは他でもない司令官であるジョセフ・フッカーである。
フッカーがポトマック軍を任せられた理由は、全体として失敗に終わったマクレランの半島戦役において、師団長として積極的な行動を行い、攻撃性を評価されたためである。マクレランが消極性を理由に解任されたとき、フッカーが後継候補に挙がったのは、政治的な必要性から見れば無理からぬことである。しかし、この時に自分が司令官の器でないと知っていたバーンサイドが、フッカーが後継になるくらいなら自分が引き受けると決断したように、同僚たちの間ではフッカーが司令官にふさわしくないという判断が存在していたようだ。
フッカーはプライドが高く、自身の生活の規律に甘く、そして着任後のチャンセラーズヴィルの戦いで失敗した。その結果、就任当初の期待を失いつつあった。
リンカーンは、適切な人物がいれば、再びポトマック軍の司令官を交代させるに吝かでない状態にあったと考えられる。
そして、実際に6月28日、ゲティスバーグの直前に、リンカーンはフッカーが駆引きで辞職を持ち出したのを意表を突いて受諾し、ジョージ・ミードに交代させてしまうのである。
 ゲームには関係ないが、フッカーは西部戦線に転属になり、グラントのもとでチャタヌーガ戦などを戦う。しかし、グラントはフッカーよりもシャーマンを高く評価したことから、プライドの高いフッカーは大いに傷ついたと思われる。アトランタ戦役では、そのシャーマンの指揮下に入ることとなった。
 フッカーのニックネームであるファイティング・ジョーは、彼が下級指揮官としては攻撃性に富んでいたことを示している。しかし、彼はマクレランとは別の意味で司令官の器になかったと考えられる。