オスマン帝国の時代(その2)

そもそも「オスマントルコ」と言う呼称が良く聞かれるが、オスマン帝国は「トルコ」を国名の呼称の一部に加えたことはないそうだ。
もう一つ非常に重要なポイントとして、ヨーロッパ側の侵略者イメージの中には、オスマン帝国イスラム教国家として見る印象が強い。
ところが、本書では実際のオスマン帝国は時空間的な広がりから考えて当然のことだが、多宗教多民族の国家だったと言う。
そして、オスマン帝国の勃興の過程での戦争においても、宗教や民族の対立ばかりが戦いの主要な対立軸だった訳ではないと言う指摘である。
これは今回のマイブームの中で非常に重要な認識だった。なぜそうなるのかは、また明日‥(^_^;