もう一つのCWB:ブダペスト56

1956年のハンガリー動乱は、筆者の生まれる前の出来事になる。
スターリンの死後、鉄のカーテンの彼方では一時ではあるが雪解けムードが存在したらしい。フルシチョフ後継書記長がスターリン批判演説を打つに至って、ハンガリーでもスターリン主義者のラーコシ書記長が辞任する動きとなった。しかし、後任に同じスターリン主義者のエルネーが選出され、失望した市民はデモに及び始めた。これに対してフルシチョフソビエト軍を出動させ、市民デモを粉砕した。死者は数千の桁に上ったと推測されているが、正確な数はもはや確かめる術もないと言われている。
中国の天安門でも後に似たような事件が起こるわけだが、その経緯と言い、保守的な首脳部の対応と言い非常に良く似ているのには驚かされる。
ハンガリーでは言論弾圧を敷いて本件の存在を封じ込めに掛かったため、ゴルバチョフペレストロイカの時代がやってくるまで20年に渡って本件は語られることがなかったと言う。
そんな訳で市民デモに対して正規軍が制圧に出たと言う一方的な暴挙であり、これがゲームとして果たして成立するのだろうかと不安に感じてしまう。
末筆になるが、この動乱蜂起の10月23日は今ではハンガリーの祝日に制定されているそうである。歴史の闇に動乱を葬ろうとした試みは失敗し、動乱の目指すところは長く苦しい道程の果てに達成されたと言えるのだろうか?