アンゴラ87:ジョナス・サヴィンビ

アンゴラ内戦が長引いた最大の元凶は、アメリカ側が支援したUNITAの指導者サヴィンビが徹底抗戦を貫いたことにあるらしい。
若い頃に宗主国であったポルトガルに留学、そこで反政府活動を開始したらしい。当初は宗主国に対する独立で志を同じくする仲間で連携していたそうだ。
しかし、独立達成が近付くに連れてMPLAが共産主義立国を志向することが明白になり、自由主義立国を目指すサヴィンビは自らUNITAを結成して袂を分かった。
1992年には一旦は大同団結してアンゴラを統一し、大統領選挙に出馬した。しかし、落選すると再び兵を率いて自由主義アンゴラを分離して内戦を継続。
冷戦構造が崩れて支援が得にくくなると、支配地域のダイヤモンド鉱山を収入源として戦闘を継続。このため、一時は国連がUNITAのダイヤモンド貿易を違法化するところまで行った。
最後は2002年に戦死しているが、アンゴラ軍による襲撃ではなく、民間軍事会社による襲撃だったとの説もある。