なつかしの昭和プロレス:上田馬之助

bqsfgame2011-12-24

1940年生まれの3人の1人が上田である。
筆者のイメージは圧倒的にタイガージェットシンのパートナー。
合体と分裂を繰り返しながらも、新日本から全日本へと常に行動を共にしてきた印象がある。こう書くとアンダーテイカーとケインの兄弟の説明のようだ。
大相撲の間垣部屋出身。
日本プロレスに入門したが、馬場、猪木らの影に隠れて目立たない存在だったと言う。リストロックを得意としておりセメントに強かったと言う。上田のシュートの強さと言うと、第一次UWFが新日本に登場した時に新日本本隊の援軍として前田明と対戦した時に、上田が前田のキックを受けきって見せた時に大いに認識されたのが記憶に残っている。
全日本に移籍した時に、解説にいた佐藤昭雄がアナウンサーに聞かれて日本プロレス時代の先輩としての上田を「馬力があって頼りになる先輩でした」とコメントしたのも印象深い。
そういう意味では地味だが実力者だったことは多くの証言が一致している。
日本プロレス末期の猪木追放事件で密告者だったとされ、これについては真偽が判らないが、後に新日本マットで活躍したことを考えると猪木が上田を恨んでいたようには思えないので筆者は大いに疑っている。
日本プロレス崩壊まで在籍したが、大木の所で書いた通り全日本合流後は冷遇されて離脱、アメリカ南部へフリーで渡米した。
その後、狼軍団の一員として新日本に逆上陸。マッチメイクのバランスで坂口と対戦した。
また、国際プロレスにも上陸してラッシャー木村と金網デスマッチで対決したこともある。
こうしてヒールとしてのポジションを固めて行き、タイガージェットシンの盟友として完全に外国人サイドの認識で新日本マットで活躍。
全日本と新日本の引き抜き合戦の中でシンと共に全日本へ。全日本時代にアメリカマットでブームに乗ってペインティングレスラー「天狗」に変身。日本マットで「歌舞伎」とペインティングレスラー対決したこともある。しかし、日本人抗争に焦点が移るマットの中でシン自体が輝くことができず、上田も存在価値を見出すことが難しくなっていた。
新日本のカルガリーハリケーンズの帰国のタイミングで、米国での金髪狼の弟子、ヒロ斉藤と組んで新日本マットへカムバック。しかし、すぐに仲間割れして昔ながらのヒールポジションへ。
だが、UWFの逆上陸では一転して猪木と同盟してUWFと戦った。実は上田の方が年上だと言うのは、どのくらい見る人に認識されていただろうか。そして、先に述べた前田戦での意外な実力の再認識へと繋がる。
その後、交通事故で九死に一生を得たが、車椅子生活に。
ウィキペディアの人物エピソードを見ると、リングでの悪役キャラクターとは異なり、非常にきちんとした人物らしい。これは相棒のシンも紳士と評されるのと相俟って興味深い。そもそもガジェット通りの狂乱をマット外で繰り返していたら只の犯罪者なので、ある意味では当然のことか。
日本プロレスの暗黒時代を巡るエピソードでは、上田は重要なポジションにいたので、上田が馬場や猪木についてどう思っているのか本音を聞かせてもらいたいところだが、上田が元気な内に実現するだろうか。
いろいろな意味で苦労人であり、情に厚い人物とも聞く。彼が真相を墓場まで持っていってしまえば、真相は永遠の謎になってしまうだろう。