なつかしの昭和プロレス:アニマル浜口

bqsfgame2012-08-23

1947年に入りました。
寺西に続いて新国際軍団メンバーのアニマル浜口です。
今の若い人には、浜口京子のパパかも知れません。
個人的には日本人レスラーで一人選べといわれたら浜口です。
国際プロレス晩年は、井上との和製ハイフライヤーズの連携は素晴らしかったと思います。ドロップキックやダイビングネックブリーカーなどの空中殺法、小柄ながらパワフルなエアプレーンスピンからのバックフリップやブレーンバスター。非常に元気なプロレスをしていたと思います。
ルーテーズ杯の予選で時のエース木村と対戦、木村をして「二度とやりたくない」と言わせたのは衝撃的でした。
そして、この対戦は、新日本マットで浜口が長州と結託した時に、落とし前戦として二度に渡って組まれました。木村のところで書いたかと思いますが、新日本ファンが戦慄するような木村の強烈な張り手が記憶に残る名勝負で、最後はストロング小林らの加勢で木村の勝利で終わりました。
その後は維新軍として長州とタッグで活躍、特に藤波、前田組とのタッグマッチは頻繁に組まれ、ハイスパートな新日本を代表するアグレッシブなタッグマッチの名勝負を展開しました。ただ、末期には場外乱闘決着ばかりになり、これが格闘技路線を志向していた前田の離脱に繋がった印象もありました。
新日本との勝ち抜き戦では副将として活躍。木村健吾を仕留めて、藤原と場外心中。長州対猪木の大将戦を演出しました。
ジャパンプロレスから全日本へ。
全日本との7対7の対抗戦では全盛時のジャンボ鶴田と戦い、解説の馬場に「浜口は簡単な相手じゃありませんよ」と言わしめました。
ジャパンプロレスの新日本リターン騒動では筋を貫いて引退。浜口道場を設立した。
その後、長州に喝を入れるために一時復帰したりもしたが、そこらへんは昭和プロレスの範囲を越えてしまうでしょうか。
ボディビル出身の遅咲きでしたが、国際が後2年存続していたら木村や原とエースの座を戦って国際プロレスを盛り上げられたかも知れないと思います。
しかし、結果的には新日本マットに上がって長州と連携したことは、浜口にとっても長州にとっても幸せなことだったように思う。ちなみに、この組み合わせは夢のオールスター戦で実現したチームでもあるのは余り知られていません。
また、83年の新春決戦では新国際軍団の副将として長州と対戦、この時に長州が初めてリキラリーアートを出したので、リキラリーアートの最初の被弾者でもあるのですが、これも忘れられた過去かも。
新日本へ殴りこんだ時には副将でありながら、休場明けだったので軽めの相手で剛竜馬と対戦しました。剛が亡くなった時に浜口が晩節を汚した印象のある剛を暖かくコメントしたのを聞いて、あの時を思い出した人も少ないのかも知れません。
見かけ通りの熱血漢で情に厚く、私人としても昭和なエピソードにこと欠かない魅力的な人物です。