○ヴィラール公 エクトール

スペイン継承戦争の緒戦ではドイツ方面にいた。フリートリンゲンの戦いで神聖ローマ帝国軍を破って元帥に昇格しドイツ方面の司令官となった。
1703年秋にはアウグスブルグを奪取し、ウィーンに迫る勢いを見せた。しかし、バイエルンのマクシミリアン2世との折り合いが悪かったことからフランス国内に異動させられた。結果、1704年のブレンハイムの戦いで、マールバラ公とオイゲンの同盟軍に、フランスとバイエルンの連合軍は大敗を喫してしまった。
このためヴィラールがドイツ方面に再任され戦線を建て直したが、戦況が安定すると再びマクシミリアン2世との対立が再燃。今度はネーデルランド方面へ異動となった。
ネーデルランドではマルプラケの戦いで痛み分けを演じ、ブーフレールと共に損害を最小限に抑えて一矢報いた。
フランスの諸将の中では軍事的には優秀だったとされるが、同盟国のバイエルンとの衝突で能力を十分に発揮することができなかった。