大北方戦争を俄か勉強する前篇

bqsfgame2014-10-22

ウォーゲーム界では、それまで見向きもされていなかったテーマが、相次いで出版されると言うことが時々起こる。ナルヴァの戦いもその一例で、突然、WW2のナルヴァが出て、それとは別に大北方戦争のゲームが出た。出版したのはスウェーデンのスリークラウンゲームズ(3CG)で、そうかスウェーデンだからかと少し納得する。
ただ、筆者が不勉強なのか、そもそも日本では資料がないのか、大北方戦争なる戦争が良く判らない。で、俄か勉強してみた。
大北方戦争の一方の主役は、スウェーデンである。
スウェーデンと言うと、「ライオン・オブ・ザ・ノース」ことグスタフ・アドルフ2世である。GMTのGBOHシリーズの第3作の主役としてウォーゲーム界でも知られるようになったスウェーデン王国最盛期の国王である。もっとも、このゲームはGBOHシリーズが古代戦中心に整理された時点で、「なかったこと」にされている節があり最近はとんと姿を見ない。
スウェーデンは軍制改革の必要を早くに認識して強力な軍隊を構築。これにロシア帝国の混乱と言う好機を得て領土を拡大した。北のライオンは、本人自身も語学の天才だったらしく、単なる武闘派君主ではなかったようだ。その後、デンマークとのカルマル戦争では苦戦しながらもバルト海制海権を守り抜いた。ここらへんが「パックス・バルティカ」の始まりだろうか。
その後はポーランドとの戦争になるが、此処でさらに苦戦することになる。しかし、他にも対外戦争を抱えるポーランドの息切れに救われてスウェーデン優位の講和を結ぶことに成功する。
次の敵は、ポーランドの背後にいると見られたハプスブルグ家であった。スウェーデンは、新教と旧教の対立で混乱する30年戦争に、新教側の支援勢力として介入。ハプスブルグ勢力を北部ヨーロッパから排除することを目指す。30年戦争は、それ自体がウォーゲームの大きなテーマなので、その展開は此処では省略する。いずれにせよ北のライオンは、リュッツエンで戦死し、それによりスウェーデンはイニシアチブを失って30年戦争から撤退していくことになった。時にまだ38才だったと言うから、若くして散った大才であったことは疑いない。
北のライオンは、騎兵戦術や傭兵政策で他勢力に先んじて戦場で活躍した。その一方で国内経済政策でも手腕を発揮してスウェーデンの強国化を実現した。
さて、かくてバルト海の平和を確立したスウェーデンだったが、その凋落が始まるのは17世紀の最終盤である。1695年に同盟者のゴットルプ公が死去し、その後継者として敵対するデンマーク王クリスチャン5世が名乗りを挙げた。スウェーデンは調停に乗り出し、ゴットルプ公直系の後継者を据えるが、不服とするデンマークスウェーデン国王の代替わりのタイミングで武力行使に出た。新ゴットルプ公フレデリク4世は、スウェーデン王女ソフィアと政略結婚してスウェーデンを頼った。
これに対抗してデンマークは、ポーランドに急接近した。これが北方同盟の端緒である。デンマーク王フレゼリク4世(ゴットルプ公フレデリク4世の従兄で別人)は、ポーランド王アウグスト1世と同盟を結んだ。中世では良くあることだが、アウグスト1世は、ザクセン選帝侯でもあるので、ザクセンも同君同盟として加わった。これに、ロシアの近代化を後に実現するピョートル1世が加わったのが北方同盟である。
対抗してスウェーデンは、かねてから親しかったイギリス、オランダと連携する。時のイギリス王ジョージ1世は、ハノーヴァー選帝侯を兼ねておりハノーヴァーも同君連合として加わった。ここにスウェーデンデンマークを対立軸とした大きな対立同盟が結成された。