茨城会:九州三国志を対戦プレイする

本番を迎えました。

リアルタイムでは、1月25日のお話しです。

筆者は竜造寺隆信を担当しました。島津は提督さん、大友は水戸さんです。

強力な島津に対して、竜造寺と大友は暫定的な同盟にあるものと思っていました。ところが、なんと大友軍は田原親賢軍で高城北の沿岸地峡帯を抑えて島津の北上を抑えるのみで、筑前立花道雪軍を肥前との国境へと進出させてきました。

鍋島直茂軍で島原半島入口の千々石城攻撃に出ていたのですが、立花軍に対処するために竜造寺本隊を肥前に留め置くこととしました。

もっとも強力なるが故にイニシアチブを取ると思われた島津は、本隊を飯野城に留め置いて東と西の両睨みで待ち。島津義弘軍のみが八代へと北上して島原半島に渡ってきます。

島津義弘島原半島に渡ったのを見て大友軍本隊が、なんと阿蘇氏の肥後を狙って山中を進出してきました。この時点で立花軍、大友軍、義弘軍の3つに迫られて非常に苦しくなりました。

止むなく竜造寺信周軍を筑後から肥後へ進めて八代包囲を目指します。

これによって退路を失うのを恐れた島津義弘は八代へと撤退していきました。

一方、阿蘇氏の高森城を脅かす大友軍でしたが、阿蘇氏と八代牽制の目的を終えた信周軍によって反撃、これにより大友陣営は立花道雪筑前から引き抜いて大友本隊応援に回しました。

かくて筑前方面、豊後方面とも安定して竜造寺としては一段落しました。

高森城攻略を断念した大友、立花軍は、太平洋岸に抜けて出て、日向高城を包囲しておいて、そこを起点にさらに南の佐土原城攻略を仕掛けます。

これに対して島津本隊がついに動き出し、日向戦線で大友対島津の主力同士の戦いとなりますが、両者ともに相手を圧倒することができず膠着状態になります。

島津義弘軍は肥後の宇土城を攻略して、ついに島津に最初のVPが入りました。その後、再び一時的に島原半島に渡りましたが、鍋島軍との対峙は停滞。最終的に島津軍は佐土原戦線打開のため義弘を長躯転進させることを決断しました。

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鍋島軍は義弘転進の結果、ついに千々石城包囲に成功、籠城した有馬晴信島津家久の部隊は籠城基準を越えており城内は混乱してしまい、相次ぐ事件によって士気が低下して落城しました。これによって竜造寺が島津を抜いてトップに出ました。

この島原半島の展開を受けて長躯東へ移動した義弘は三度、島原半島へと折り返してきます。有明海を渡ること実に5度目という驚きの強行軍です。

しかし、有馬の兵力がなくなってしまい、義弘と言えども鍋島軍に対して有効打を与えられません。此処で竜造寺、島津会談で島原半島は手打ちとして、竜造寺は肥前高祖山城を、島津はついに佐土原戦線の完全決着のため再東進することとなりました。6度目の有明湾渡海です(笑)。

この動きを見た大友軍は、島津軍の総結集前に勝負に出ることとし、ついに大友宗麟島津義久の合戦となりました。ステップ数で圧倒的優位な大友軍が優勢と見られましたが、大友宗麟のダイスは不調。逆に島津軍のダイスが好調なため、両軍ともに継戦困難な状態になりました。

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此処で時間の都合もあり終了となりました。

7時間ほどプレイして13ターン程終了しました。

VP的には仮で竜造寺がトップでしたが、大友、島津決戦が一方の完全勝利となれば合戦のVPが大きいので、その勝者に抜き返されるのではないかという感じでした。

初めて本格的にマルチのシナリオをプレイしましたが、やはり面白かったです。

決定的な決着はなかなか付かず、牽制運動と小競合い、小城の取り合いくらいに終始するのですが、それはそれで悪くはありません。WW2の電撃戦ゲームのようなカタルシスを求めることが無理な話しなのかとの意見が感想戦で出ました。