太陽風交点事件の資料に行きあたる

>未来方向の記憶を持つのは進化上有利とは言えないというのは、昔の堀晃の短編にあったかと

 

ということで、この内容の短編の題名を調べようとネットサーフィン。

そうしたら、堀晃先生ご本人による資料サイトに行きあたりました。

HORI AKIRA:「太陽風交点」事件記録 (sf-homepage.com)

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太陽風交点事件についてはウィキペディアもきちんとあるので詳説しません。早川書房が単行本を出した「太陽風交点」の文庫化に当って、日本SF大賞第1回受賞作として徳間が文庫化したことで生じたトラブルです。

と言うことで、本来は出版社間の問題であるはずが、結局は堀晃本人も巻き込まれた裁判沙汰となり、この騒動に嫌気がさした小松先生がSFマガジンと決別、これに少なからぬ第一第二世代作家が同調して当時の日本SF界の構造を揺るがす騒ぎとなりました。

改めて資料を読んで思いますが、早川側が「当然、文庫化の権利は自分たちにあるはず」と思った根拠は、当時の慣習に阿っている所が大きく、裁判での主張もその線で成されています。裁判所側が早川側がそう主張する根拠を引き出そうとして尋問しても、早川書房内の出版に関する意思決定のイイカゲンさが露呈するばかりで、そうか出版業界と言うのはこんなにダメな世界なのかと改めて思いました。

その一方で、当時の筆者も思いましたが、ハードカバーを出した出版社から文庫化されるのは暗黙の常識であったと言うのはその通りと思います。徳間書店側もこの点については一定程度認めていてロイヤリティー支払いを提案しています。

結果から振り返れば、早川はこの提案を受けて示談に応じるべきでした。そうすれば、文庫化は早川に優先権ありという主張が少なくとも出版業界の共通理解だったという結論になっていたからです。

しかし、最後まで衝突した結論として、裁判所から「契約を締結することに障害があったとは思われないのに契約を締結する努力を怠っており」‥との指摘を受け、何も得られませんでした。

それだけでなく、当時、正に飛翔すべきタイミングだった堀晃はブレークに成功することができず、当然、それを目指して応援していた小松先生とも早川書房は小松先生の追悼号を出すことさえしない(or できない)という程に遺恨を残してしまいました。

今岡編集長への反対尋問を詳細に読むと、早川側はとても裁判で勝てるような準備をしていたとは思えず、一体、何を求めて最後まで衝突したのか今もって理解に苦しみます。

その一方でSFマガジンは第3世代への誌面交代が加速し、神林長平大原まり子らは、早くから大活躍することとなりました。良かったことがあるとすれば、これだけでしょうか。

今もって、こうした資料がネットで公開されているということ自体が、問題は今でも円満解消していないという証明ですし、日本SF界、出版界の水準の低さを露呈しているようで残念でなりません。