今度は、まぁまぁ評判通りだったという部類です。
典型的なマッチョマンで、明らかにビリー・グラハムの影響下にありました。国際プロレスに初来日した時には既に国際はノーTV。しかし、阿修羅原凱旋帰国の特別番組の時に電波に乗ってお目見えしました。典型的な恐竜パワーファイトで、新日本のようなハイスパートには着いて来れなかったと思うので、国際で良かったのだと思います。曲者テリー・ラザンとのコンビでIWAタッグ王座を奪取。
次に見かけたのは、全日本にロードウォリアーズが来日した時のマネージャーとしてでした。このポジションでもっとも成功したし、その最盛期に来日もしたので、まぁ前評判をなんとかクリアしたと言えるでしょう。
遅れて新日本にジェシー・ベンチュラが来た時に、プロレスファンの同級生と「見分けが付かない」と嘆かされたものです。どっちもビリー・グラハムのコピーなのですから酷似しているのは必然ですが。