こちらの続編です。図書館。
今回はタイトルにある通りのイチゴを巡る商標権紛争です。
イチゴは農作物なので、種苗法による品種登録の対象でもあるのだそうで、そこら辺は初耳で勉強になりました。また、日本のフルーツブランディング戦略の失敗事例についても、大いに勉強させていただきました。
今回の解決方法は、かなりの大技で、「戦争」と呼ぶにしおう剛腕です。ちょっと一・弁理士の仕事としては大きすぎる気がしますが、まぁそこは小説の中のことですから。
p39
今回の事件の最大の問題は、在庫に消費期限がある点だった。早期に解決しなければならない。
p79
「先生、技術として見た場合、って言ったが、イチゴは特許とれるのか」
「今の情報だけであれば特許権は無理でしょう。特許権は技術的な思想について与えられますが、優希さんは新品種を発見しただけ。しかも発見から育種まで斬新な技術を編み出したわけでもない。特許権になりそうな発明はないです。おまけに秘密状態でもなさそうだからさらに無理です。現状では特許よりも品種登録のほうが適切でしょう」
農家たちが残念がった。
「惜しいなぁ。特許とれれば俺たち久郷いちご園は一儲けだったろうに」
p86
「四年前だ。まだ性質の固定化が終わっていない状態で、優希はこともあろうにイチゴを仙台の品評会に持っていったんだ」
別の農家が口を挟んだ。
「宮城まるごとフェスティバルだ。仙台市のど真ん中にある勾当台公園でやってたやつだ」
p89
「私が確認したいところは二つです。調査した日付と、その調査費用は誰が出したかです」
三郎が即答した。
「詳しい日付は分かり次第教える。費用は俺たちが持った」
「大学には商標調査会社を教えてもらっただけですね」
「間違いねえ。いくら優希でも大学に費用を出させたりはしねえよ」
p90
「長い間、名称決定にもめたんですか」
「名前どころじゃなかった。どうやって性質を安定させるかで手一杯だったよ」
p111
壮一郎は続けた。
「しかし質で勝負する場合、避けられない問題があります。ブランド保護です。現状の日本は、諸外国のように農作物のブランド保護に注力しているとは言えません。率直に申しますと、日本は失敗を続けています」
スライドを切り替える。翡翠色の果物が映った。
「現在国内最大級の損失例が、写真の青果です。シャインマスカット。
シャインマスカットは広島県で生まれたブドウです。
2006年、農研機構はシャインマスカットを日本において品種登録しています。しかし輸出を想定していませんでした。シャインマスカットは外国での品種登録を行っていません。結果として、シャインマスカットの種苗は中国や韓国に流出しました。
流出先の韓国ではシャインマスカットは主力の輸出品となっており、輸出額は日本の約5倍です。
中国に至っては、シャインマスカットの栽培面積は日本の四十倍を超えています」
p114
「品種登録を受けるとどうなるんだ」
「登録品種の無断利用に対し、差し止めや損害賠償請求ができます。特許による保護と同等の保護が受けられます」
p116
「あまおうが採用した戦略は二つ。栽培地域を自らの都道府県内に限定するなどにより品質管理を徹底し高付加価値を追求したこと。そして二つ目が最も大事なのですが、あまおうの名前は品種登録ではなく商標登録を受けている点です。
品種登録の保護期限は最長二十五年ですが、商標登録であれば自ら放棄しない限り永久的に保護を受けられるからです」
p118
「財務省の貿易統計によると、日本のイチゴの輸出額は二〇一〇年の約2億円に対し二〇二〇年には約二六億円まで成長しています。十年で十三倍の伸びです。政府は二〇二五年までに輸出額を八六億円まで伸ばすと目標を掲げており、今後も成長する市場です」
p139
「田中山物産としては、なるべく早くイチゴの名将候補について商標権を取得したかった。しかしあまり早く出願するとばれてしまう。そこで田中山物産は、外国出願を経由して少しでも公開される時間を稼ごうと考えた。
所定の条件を満たす外国に出願した後、半年以内に日本に出願すれば、日本の出願もその外国出願時にしたものとして扱われます。
優先権よ。
サブマリン特許ならぬサブマリン商標ね。半年とは短いけれども、その半年で命を救われることもあるし、逆にやられる場合もある」
p143
「ところで田中山物産の商標ですが、四年前に出願され台湾でのサブマリンを経由して日本で審査が終わるまで一年。登録からもうすぐ三年が経過しますが、未来さん、不使用を理由に取り消し手続きをする気はありますか。
当然、田中山が絆姫の商標を使っているとは思えない。もし田中山物産がイチゴに絆姫と付けて売っていたら情報が入っているはず。ないなら持っていても使っていないのよ。だったら取り消した方がいい。
手続きの前に、田中山に取り消し手続きをする通知をするわ。
先に知らせておけば、知らせた直近の三か月の商標使用はカウントされない。いわゆる駆け込み使用の防止策。いずれにせよスピード勝負ね」
p187
「商標とは、自分の商品か他人の商品かを区別できる標識だ。登録後でも識別力が亡くなった商標については、商標権を使えない。
世の中であまりにも使われまくったせいで一般的な名称になった場合の話ね。エスカレーター、魔法瓶、雷おこし、正露丸、サニーレタスなどなど。」
p189
商標法と種苗法は相互に影響し合っている。商標登録された場合、種苗法で品種登録は受けられないし、品種登録された名称は商標登録を受けられない。
p211
「生駒さん、もう少しわかりやすく説明できるかね」
「識別力を失った例としては、たとえばエスカレーターという言葉があります。これは米国のオーティスエレベーターの階段式昇降機の商標です。しかし現在では階段式昇降機はすべてエスカレーターと呼ばれます。普通名称化です」
「ゼロックス、みたいなものかね」
「ゼロックスは米国ゼロックス社の商標です。しかし世界的に有名になり過ぎたためコピー機全般がゼロックスと呼ばれるようになりました」
「識別力がなくなると、どうなるのかね」
「商標権は効力が及ばなくなります。侵害だといえなくなるのです」
「商標権を取った後からでもかね」
「後からでもです。
となると疑問が残ります。田中山が商標を先取りしていたとしても、本当に我々はブランドを占有し続けられるのかという問題です」
p238
「我々和多利郡和多利町は、久郷村を迎え入れることにより、一万人を越える規模となりました。これを機に町名を一新したいと思います
発表します。新町名は絆姫町です」
調査担当者が席を蹴って立ち上がった。
「ふざけるな!」
「さっきの話の続きをしましょうか。商標登録時は問題がなかったのに、登録後に適切ではない商標になった場合です。法的にはどうなりますか」
「商標権の効力は後発的に及ばなくなり、差し止めや損害賠償請求はできなくなる」
「だからみんな普通名称化を恐れるんです。商標法の規定の趣旨には、『後発的に識別力を失った場合に商標権の効力を制限し、一般人がそのものを使うことを保証するためである。例えば、従来から使用されていた登録商標の名称と同一の名称の都市ができた場合が考えられよう』」
「地名はみんなが使えないと困るでしょう。宮城も久郷も和多利も同じです」