☆メルニボネの皇子を読む

 エルリックサーガです。

 なんとなく読みたくなって実家から発掘。

 まず物語のフレームワークを構成する第1巻です。

 メルニボネの病弱な白子の皇子エルリックが、従弟のイイルクーンに嵌められて溺れそうになる所から始まります。

 イイルクーンは、エルリックには残酷さが足りず優柔に過ぎるので王たる資格がないと主張します。

 実際その通りで、イイルクーンに殺されかけながら九死に一生を得たエルリックは、玉座に戻ってもイイルクーンを死罪で罰することができず逃亡を許してしまいます。そこから話しは非常にいらいらする長い長い展開へと入っていきます。

 蔵書の奥付を確認したら1988年の第8刷でした。この時が初読で、今回が38年ぶりの二読です。

 記憶していたよりも遥かに読みやすくて驚きました。

 また、チャイナ・ミエヴィルが言う所の、「指輪物語コピーではない独創的な世界を作りえたファンタジー」として、もっともっと高く評価されても良いのにとも思いました。今でも新版が手に入るということそのものが、評価の高さではありますが‥。

p18

 だが、この若者、メルニボネの初代の王たる魔術師から四百二十八代目の子孫であるこの王には、かれらのそうした思いは傲慢であると同時に愚かに見えた。竜の島がその力の大半を失っているのは明らかで、「新王国」といくぶん思い上がった態度で名のる勃興してきた人類諸国家と、一、二世紀のうちには正面からぶつかるようになるとわかっていたからである。

p24

廷臣たちは踊りつつも、その目を壇上で話しこんでいるエルリックとサイモリルに注いでいた。かれらは推測する。エルリックはサイモリルに妃となるよう申し出たのか? エルリックは、メルニボネの支配者たるにふさわしい夫婦生活を送るため、「混沌の神々」に十二組の新郎新婦を捧げる儀式を甦らせるのだろうか?

p41

 二人は拍車をけって光の箭の射す林をぬけ、かなたの丘の険しい斜面を登ってから、反対側を駆けおりた。その先の草原を行くと、ノイデルの茂みが育っていた。たわわに実る有毒の果実は紫っぽい青に輝き、夜を思わせるその色は日中の光さえも捕えてしまうようだ。メルニボネでは、こうした奇妙な漿果や薬草が多く育ち、エルリックが己れの命を保っておれるのも、これらの植物のおかげだった。

p48

 ドクタージェストは背が高く、ひどく痩せており、血に汚れた白衣を着た様はまるで骸骨のようだった。唇は薄く、目は細い隙間のようで、指も髪も細々としている。手に握った外科用のメスもほとんど見えないくらいに薄い。

p55

 ディヴィム・トヴァーが再び口を開いた。

「皇子。竜は使えないのです。起きてくれませぬ。御身の最後の戦いで疲れ果てまして。

 ヴィルミールの海賊征伐には、竜をお使いになることもなかったのです。わたくしは御身に、竜を休ませておきたいと申したはずです」

p60

 エルリックは、巨大な黄金の御座船の高い艦橋に立っていた。艦隊の他の船と同じく、これも数多くの帆や帆柱、櫓や投石器をそなえた、動くジグラットを思わせる。船の名は「ピアレーの息子」といい、艦隊の旗艦だった。大提督メイガム・コリムがエルリックの脇にいた。ディヴィム・トヴァーと同じく、提督はエルリックの数少ない親友の一人だった。生涯を通じてエルリックをよく知っており、船での戦闘や艦隊の指揮について、覚えていること全てをかれに伝えてきた。心中ではこの王を、メルニボネを統治するには学者肌過ぎるし、内省的に過ぎるのではないかと思っていたけれども、エルリックが統治することに異論はなかった。

p62

 少し以前に、イイルクーンが魔術を使って妙な霧を呼び寄せていた。視界からこの黄金の御座船を隠してしまうが、メルニボネ人の船からは敵を透かし見ることができるのだ。いまエルリックは前方の水路に、侵略者たちが慎重に迷路を渡り切ろうとたいているたいまつの炎をみることができた。ほんの数分内に、十隻のガレー船が洞穴の前を通過した。

p79

「手を貸してくれぬか、従弟よ」エルリックは、イイルクーンの行為に少しでも甘えたくはなかったが、この場合はいたしかたなかった。空の手をのばす。「船の状態を調べることくらいならできるだろう」

p112

 と、突然、帝室の扉が激しくおし開かれ、ディヴィム・トヴァーが血まみれになり、あえぎながら現れた。衣服はずたずたで深傷を負っている。その後を追って霧がたちこめてきた-暗い紫と深いな青のまざった渦まく霧。うめくような響きを立てていたのはこの霧だった。

p121

 蠅はエルリックにほほえんだ。

 ざらついた喉、からからになった唇を通して、エルリックはただひとことだけつぶやいた。

「アリオッチ?」

 蠅のとび回っていたところに美しい若者が立っていた。若者は美しい声でしゃべった-声は小さくて同情にみちていたが、男らしい響きがある。澄んだ宝石のようなゆったりした外衣を着ていたが、まばゆいとは感じなかった。

p126

「さらに言うなら、ディヴィム・トヴァー、わたしは魔術の使用にためらいがある。それが絶対に必要でもない限り‥」

「御身は魔術師でもあられます、エルリック様。つい先頃も、そのことではすばらしい能力をお示しになったばかりではありませんか。あらゆる魔術のうちでもとりわけ強力な「混沌の神」の召喚と言う-なのになぜためらわれます? 我が君、御身は論理をもてあそばれ、魔術を不健全なものと思われているのではありますまいか? 御身はイイルクーン皇子を探すのにそれを用いられた。賽は投げられたのです。

p132

「いや、汝を助けよう。ただ、いま汝を助けることは難しくなっている。それは近い将来起こることによるのではなく、この先何年にもわたって起こることによると暗示されている、とにかく、速やかにわれら水の精霊にできる援助とは何か、語ってくれぬか?」

「あなたは、もちろん「海と陸をゆく船」についてはご存じかと思うが? わが恋人サイモリルを見つけるという誓いを果たすには、それを見つけねばならないのだ」

「その船なら何でも知っておる。われの船ゆえ。グロームもその所有権を主張しておるがな。しかし、あれはわれのものだ。公平に見て」

p142

 船は河面を進むかのように大地をなめらかに走り、竜骨の下の地面はいっとき水に変わるかのごとく裂けた。竜骨が触れた部分と、その周囲数フィートだけにこうした効果が現れれるらしく、船がいったん通過すればそこはまた元のしっかいりした状態へと戻るのだ。これが森の揺れた理由だった。

p176

「ヴァルハリク? 彼奴らは闘いつづけておるぞ。なぜだ。鏡の焦点は合わせたのか?」

「そのはずです陛下」

「やつらは盲目です! 音と手触りと匂いで戦っております。見ていません、陛下。はい、盲目の戦士です-過去の戦いで傷ついた兵士です。にもかかわらず、戦にはたけております。これが鏡を打ち破るエルリックの計略だったようです、陛下」

p182

 ただ倉庫の石の床に横たわって、のたうっていた。部下たちも同じく、己れのものでない無数の記憶をふり払おうと必死になっていた-愛、憎悪、奇妙な体験、日常的な体験、戦争、旅、セックス、恐怖、欲望。そうした記憶が頭の中にひしめきあい、お互いをおしのけようと争い、かれ本来の記憶を駆逐してしまいかねなかった。

p196

「力? おれは「混沌」に仕えるのを拒んでから力など持っていない。で、友よ、おれと闘うのか?」

「この世界でわたしが闘うべき相手は、ただ一人。そちではない、プムの神官戦士よ」エルリックは剣を鞘におさめた。

p220

「いきどまりだ」ラッキールがささやく。「道はない」

 小さな裂け目は、すばやく、力強い脈動をくり返していた。

「「脈うつ洞窟」だな」エルリックは答える。「「沼地の地下道」の果てで見つかるはずの場所だ。入口にまちがいない、ラッキール」

「しかし、人が通るには狭すぎるぞ、エルリック」ラッキールは冷静だ。

「いや‥」

p222

 エルリックにはもはや言い争う力はなかった。そこで、ただうなずいてから二番目の裂け目の柔らかい壁を両手で押し開き、中を見た。洞窟があり、その丸い壁は一定の脈動で震えている。洞窟の中央には何の支えもなく、二本の剣が浮いていた。おおきくて美しい二本の黒い剣。

p224

 エルリックは巨大な剣を苦労することもなく持ち上げ、裏表と返しつつ、その異様な美に感嘆した。

「ストームブリンガー」その名を呼ぶ。戦慄が体を走った。

p230

 光がもとに戻ったとき、エルリックは足元に鞘が落ちているのを知った。黒い色で、魔剣と同様、この世で作られたものではない。それから、イイルクーンを見た。皇子はひざまずき、すすり泣いていた。眼は洞窟の中をあてもなくモーンブレイドを探し求めている。そして、エルリックを見て、さあもう殺されるのがわかっているといわんばかりにギクッとした。

「モーンブレイドは?」イイルクーンはすがるように言った。

「お前の剣は消えた」エルリックは静かに告げた。

p245

「エルリック様、わたくしはあなたを愛しております。しかし、その行為は愚かです-イイルクーンをまたお信じになるなど犯罪とかわりませぬ」

「ちがう」エルリックはむきにならずに言った。「わたしは愚か者ではない。わたしはエルリックだ。そうしなければならぬのだ、サイモリル」

p246

 数多い紫の街のなかでも、特に雑然として気楽なメニイという名の港があった。この島も他の街と同じく、おもに紫路の石材で作られており、それがこうした街の名の由来となっていた。家並は赤い屋根をしており、港には色とりどりの明るい帆の小舟が浮かんでいる。エルリックとラッキールは早朝に上陸したため、水夫がほんの数人船へと戻りかけているだけだった。

p250 訳者あとがき

 ムアコックはご存じのように、1960年代半ば、イギリスに起こったSFの新しい波運動を率いた作家・編集者でもあります。ですから、随所に従来のヒロイックファンタジーにはない特色が見られます。

 その一つは、エルリックがひよわな知識人であり、英雄行為を精神面からとらえる「精神派」ヒーローだということです。