1861年

緒戦、マクドウェルのポトマック軍にボーリガードが敗北してマナッサスを譲ってしまう。幸先の悪いスタート。しかし、手札自体は3322と非常にポイントが厚く、お陰さまでケンタッキー州を南部に加えることができた。
夏には北軍はマナッサスに要塞を構築してしまい、結果として以後、終戦直前のマクレランの進撃まで東部戦線の両軍首都間の最短距離戦線は動かなくなってしまった。ポープの北軍テネシー軍が編成されケンタッキーへ侵入してきた。ブラッグの小部隊がいたのだが簡単に一蹴されてしまった。西部の総責任者であるAジョンストンは、これに対抗する策として間接アプローチを採用、ケンタッキー州でポープと擦れ違ってインディアナ州に入り、これを蹂躙して得点を稼いだ。ケンタッキー制圧と、インディアナ州蹂躙で南軍はスタートより得点を大きく増やして120+となり、北軍の88−を大きく上回った。
続く秋にはポープがインディアナ州に戻ってAジョンストンを攻撃してきたが二度に渡り撃退。しかし、人員補充力の差は如何ともしがたく、不本意ながらケンタッキー州へ後退することとした。北軍がポープの機動に大きなSCを使ってくれるのを幸い、南軍は余剰のSCをミズーリ州に一方的に振り向けてミズーリ州も南部に取り込んでしまう。この結果、南部の得点はさらに増加して130+となり、北軍の84−とはさらに差が開いた。