1942年の三人の最後の一人がマサ斉藤。 杉山、草津と日本プロレス末期の三羽烏と言われたが、いずれも早々に日本プロレスを離脱している。期待の若手が続々と出て行く辺りに末期の日本プロレスの問題の大きさを感じる。 斉藤は他の二人と違って、豊登、…
引用をストックしました
引用するにはまずログインしてください
引用をストックできませんでした。再度お試しください
限定公開記事のため引用できません。