☆幻影の構成を読む

bqsfgame2006-02-21

インサイダーSF論を唱えた眉村卓の第3長編。1966年の作品という。
とかく、組織のアウトサイダーを主役としがちなSFにあって、組織の中の人物を主人公に描かなければ本当の社会の問題と正対できないのではないか‥というような問題提起をしたのが眉村さんのインサイダーSFだったという理解をしている。その集大成とも言えるのが「司政官」シリーズだろう。
とは言え眉村卓のインサイダーSFへの切り込みはデビュー当初から始まっていた。このことは大学時代に読んだ「滅びざるもの」で認識していた。今回は、近年再版されたハルキ文庫で、この「幻影の構成」と「燃える傾斜」を遅蒔きながら入手した。
ストーリーは、イミジェックスという常時携帯の音声型の情報発信端末に教育も趣味も生活嗜好も強く影響されてしまっている市民たちで形成された都市から始まる。そこでの立身出世の物語は、イミジェックスがコンツェルンによる消費地&生産地の系列化都市を作るためのマインドコントロールツールであるという第一段階の謎解きへと繋がっていく。そして、そのコンツェルンですら、世界に数多くあるコンツェルンの一つでしかなく‥。
こうしたインサイダーSFの典型とも言えるべき設定から始まって、この状況を利用して侵略を進めている宇宙人が出てきたあたりから往年の国産ジュブナイルSFに良くあった懐かしい陰謀の構図へと移る。さらに、これを打破していくと、実は打破することが問題の解決とばかりは行かなかったというエンディングへと進んでいく。何層にも剥離していく世界の認識という点ではフィリップ・ディック的とも言える構造を持っている。しかし、そのテイストは往年の国産SFのそれであり、問題認識は眉村卓インサイダーSF論的である。
かなり複雑なストーリーなのだが破綻せずに最後まで書かれており、執筆年代を考えれば素晴らしい傑作と言ってよいだろう。
近年の携帯電話の普及で「ケータイがないと死んじゃう」という子や、複数のケータイ端末を使い分けしているその姿を見ると、イミジェックスは既に半ば現実かという気もする。私鉄沿線の宅地&ショッピングセンター開発もコンツェルンによる系列都市化を部分的に実現しているとも言える。その意味で眉村卓が近未来として設定した舞台の背景は、現実の進展の予想としても思いのほか妥当だったという気もする。
今の時代に読んでもノスタルジーだけでなく読み応えがある力作だと思う。もちろん現実の進展はあちこちで小説の設定を追い越している部分もあり、メインであるインサイダーSF論の組織分析の部分が却って未熟さを感じさせるのは止むを得ない。そこに眉村卓の当時の「若さ」を良い意味で感じられると思う。執筆当時の1966年には、眉村卓はまだ31歳。そのことを思えば、これは欠点でも何でもなく、むしろ立派な仕事だったと言えると思う。次の機会に「燃える傾斜」を読もうと思っている。