オータムオブグローリーをソロプレイする(つづき)

承前
ウィキペディアのチカマウガ戦の記述は英語版から訳載されたのか充実しているので9月10日以降を引用しよう

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9月10日、トーマス軍団のジェイムズ・ネグリー少将の先遣師団が南軍トマス・C・ヒンドマン少将師団と遭遇し、ピジョン山のダグ・ギャップで小競り合いが起こった。この小戦闘はデイビス交差点の戦いと呼ばれた。この遭遇後、ネグリーの北軍はルックアウト山のスティーブンズ・ギャップまで後退した。
ブラッグはクリッテンデン軍団を攻撃することに決め、9月13日早くにレオニダス・ポーク少将にポーク軍団とウォーカー軍団で、クリッテンデン軍団の先遣師団であるトマス・J・ウッド准将の師団を攻撃するよう命じた。クリッテンデン軍団は分散しているものと見ていた。しかし、ポークはクリッテンデン軍団が実際には集結しているのを認識し、攻撃しないことに決めてブラッグを激高させた。3日間のうちに2度までもブラッグはその部下にタイミング良く攻撃させることができず、ローズクランズ軍は遅ればせながらその戦力を集結させた。
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と言う訳で、史実では9月10日の第13ターン、9月13日の第14ターンと、ブラッグは総攻撃を意図していたが前線指揮官の実行が伴わず南軍は機会を逸したというのが史実のようだ。
この限りに置いては、どうも昨日の第一ターンのルール制限は、チェックなしで課されるというのが「史実を再現するための意図で特別ルールが置かれている」なら妥当ではないかという印象を受ける。
最終的にローズクランズの問題のウッドの部隊に対する不適切な命令が実行され、結果として北軍のトマス軍団とマクック軍団の間に間隙が生じたのは9月20日の午後、つまり第18ターンになってからである。ロングストリートがこの間隙を突いて前進し、北軍が崩壊の危機に至った南北戦争西部戦線北軍の最大の危機の瞬間である。
しかし、トマス軍団は危機に当って最後まで献身的な頑強な防衛を継続し、ローズクランズの軍は決定的な敗北を免れることができた。
と言う訳なので、第13ターンの南軍移動制限については、最大限適用されるのが史実を再現する観点では妥当なのではないかという印象を受けるに至っている。
もちろんブラッグのテネシー軍が正しく運営されていて、ブラッグと配下の将軍たちの信頼関係が存在していたならというイフを試すのであれば吝かではない。しかしながら、そうだとすれば、初期配置の多くの軍団がそもそもNR状態で機動できないというようなルール自体を設けないのが妥当であろう。
このルールがあるのは、実際に史実でそうであったように、ヒンドマンもポークもブラッグが意図していたような断固たる攻撃意図を共有していなかったということを示したいのであろうから、その意図に沿って解釈するのが良いように思う。