豊後羽根藩シリーズ、「蜩の記」に続いて2冊目です。
こういうのは、とっかかりが出来た時に一気にやっつけないといつまでもそのままになってしまうので。
今回の主人公の伊吹櫂蔵は、若い頃は俊英と言われていたものが奢った態度で周囲と衝突してお役御免になり、プライドが高いのでそのまま腹違いの弟に家督を譲って海辺の漁師小屋で暮らすようになり酒と博打に溺れて襤褸蔵と呼ばれています。
そんな彼の所に義弟が訪ねて来て、不始末をしたため家財を全て処分したと言い出し、兄の取り分として3両だけ渡してくれます。
その直後、義弟は腹を切ってしまうのですが、聞けば義弟は藩の借財交渉に成功しながら、その資金が行方知れずになり責任を取ったと言うのです。
少しして櫂蔵の所に殿からの使いが来て、義弟のお役目について再出仕するようにと言われます。
この後、義弟の死に不信を抱いた櫂蔵が、事件の背景を解き明かし、また浜辺で飲み屋を営む(また体も売っていた)お芳を嫁に認めてもらおうと義母との関係を取り戻していく「再起」の物語です。
非常に屈辱的な立場からスタートしますが、最後にはこれ以上はないという爽快なエンディングを迎えます。直木賞を取った「蜩ノ記」よりも、こちらの方が圧倒的だと個人的には思いました。
p79
「明礬は、もともと唐で作られたものがわが国に入ってきておりました。いわゆる唐明礬でございます。これに対して、わが国でも明礬が作られるようになり、いまではその品質も劣らなくなりました。しかし、数年おきに唐船が持ち込む唐明礬が長崎から大量に流れますと、値崩れを起こして国内の明礬作りに大きな打撃を与えるのです。そこで唐明礬の輸入を禁じていただきたいと、かねてより新五郎様は目をつけられたのです」
p197
「国許には知られておりませぬが、殿は江戸在府のおりには、吉原に通い、遊興にふけっておられました。そのため江戸屋敷の風儀は乱れ、金遣いも乱脈を極めておったのです」
p306
「さようかもしれません。ただ、二度目に咲く花は、きっと美しかろうと存じます。最初の花はその美しさも知らず漫然と咲きますが、二度目の花は苦しみや悲しみを乗り越え、かくありたいと願って咲くからでございます」
p332
伊吹の家に帰るおりお芳を伴ったのは、落ちた花をもう一度咲かせたかったからだ。それは櫂蔵自身のことであり、お芳や咲庵のことでもあった。しかし、櫂蔵が、どうしてももう一度咲かせたかった花はお芳ではなかったか。
p342
「新五郎様はいまもわたしの胸の中で生きていらっしゃいます。けれど、笹野様にやさしくしていただくと、新五郎様のことを忘れるかもしれません。わたしは新五郎様のことをいつまでも覚えていたいのです、この世を生きるためにも。それに、誰かが覚えていなければ、新五郎様が生きていたことが何もなかったようになってしまいますから」
p348
染子の言葉を聞いて妙見院はおかしげに笑った。
「昔、わたくしの腰元になった若い女子が、嘘をつかぬのが取り柄でございます、と言いおったのう。あの腰元は、もしや染子ではなかったかの」
「恐れ入りましてございます。若きころは何分にも世間知らずでございましたゆえ。されど、かのお芳は嘘をつかず、おのれを偽らぬことを生きる道としておったようでございます」
p350
「なるほどのう。しかし、染子ほどの女子にさようにまで思わせるとはの。そのお芳なる女子に会うてみたかったのう」
「必ずやお気に入っていただけたと存じます。」
p379
「いや、その訴えをわらわになしたのは、伊吹櫂蔵の継母である染子じゃ」
染子の名を聞いて清左衛門は眉をひそめた。
「染子は昔、わらわに仕えておった。そのころより、虚言を弄したことがない。さらに申せば、死んだお芳なる女子も嘘を言わぬことを生きる信条といたしておったそうな
そうであったのだな、染子」
「相違ございませぬ。お芳はわが家の嫁となるべき女子でございました」
p388
「老中方は一筋縄ではいかぬ方々そろいだ。いくら金を贈っても、それは話を聞いていただく謝礼に過ぎぬ。よほどの弁舌を振るわねば、口説き落とすことはできんぞ」
「さようでございましょうが、それがし、さほどの弁舌は持ち合わせておりませぬ。ただ赤心をもって説くだけでございます」
「そうか、そうであったな。襤褸着て奉公であったな」
と宗彰はおかしそうに笑った。
p391
「それゆえ、落ちた花はおのれをいとおしんでくれたひとの胸の中に咲くのだと存じます」
櫂蔵が言い切ると、染子はにこりと笑った。
「お芳は幸せですね。櫂蔵殿の胸の内で、これからもずっと美しいまま咲いていられるのですから」
解説より
ゆえに、我々は己の中に襤褸蔵を見る。これは俺の、私の物語だと思い、ページを繰る。