南北戦争の北軍の将軍の中でベストはという投票がBGGで実施されたことがあり、実はダントツのグラントから大きく引き離されてはいたものの2位はトーマスだった。ちなみにシャーマンが3位である。
これまで将軍の評価には上司との折り合いが大きく影響しているということを幾度か示唆してきた。トーマスもその事例に入り、グラントの評価が低かったことが彼の現在の評判がいまひとつ盛り上がらない原因の一つであると思う。また、トーマスの経歴を見ると、自分の成果を宣伝することに熱心でない人は残念ながら不遇であるとも思う。
特に勝利した北軍の将軍で顕著なことだが、戦後は政治家に転身して成功し、晩年は回顧録などを執筆した人が少なからずいる。人間の常であるが、回顧録では自分に都合の悪いことは書かれなかったり、書かれても強調されないのに対して、自分の成果は強調して詳細に記述される傾向がある。
歴史家が後から研究するに当っては当事者の書いた回顧録は中心的な手掛かりとなるから、回顧録を書いた将軍の評価が+方向にバイアスするのは止むを得ないように思う。トーマスは、そのような回顧録を書くことを良しとせずに沈黙したまま世を去ってしまった。ピケットやカスターのように未亡人が熱心に名誉取得のための文筆活動をした事例もあるが、トーマスの場合にはそれもなかった。それにも関わらず少なからぬ歴史家は、トーマスを北軍の将軍のベスト3に数えている。
特にチカマウガ戦での「チカマウガの岩山」と渾名される頑強な防御と、チャタヌーガ戦での「カンバーランド軍のミッショナリーリッジ登り」は、トーマスの部隊の活躍のもっとも著名な成果である。
そしてトーマスはその後も南軍のフッドの最後の攻勢を撃破して「ナッシュビルの大槌」という渾名も得ている。
戦後も軍務についていたトーマスは、グラントの後の陸軍総司令官のポストを提案されたが断っている。彼は自身が正当と思わない昇進は一貫して断り続け、政治に巻き込まれることも拒否し続けた。