大相撲総選挙ランキングに思う

プロレスに関心が移る前は、かなり熱心に相撲を見ていました。
筆者が小学生の頃は、朝日新聞に番付発表の頃に未記入の星取表が折りこまれてきていました。それに毎日の結果や翌日の対戦相手を、かなり一生懸命に記入していたものです。当時は、大鵬末期、北玉時代の幕開けと言う頃でした。大関陣に、琴桜、清国、前乃山、大麒麟などがいた頃です。
さて、ランキングを見て思ったのですが、こういうのはタイミングが影響しますね。稀勢の里や、高安が、長期に渡って普遍的な価値を残せるかどうかはこれからと言う気がします。
1位の千代の富士は、納得感があります。彼が新入幕してきた頃は、体に合わない大きな相撲を取って肩の脱臼癖があって、とても大関になれるとは思いませんでしたが、不見識でした。ただ、引退後の協会でのポジションを見ると、現役時代もそうでしたが多分に傲慢な感じは受けます。
2位の二代目貴乃花は、少々、意外です。今のタイミングだと、この時代のファンが投票母体を占めると言うことなのでしょう。アスリートとしては超一流だったと思いますが、この人も変人ぶりが聞こえてくるのが気になります。
3位の大鵬は、筆者の世代では伝説の人に近いです。現役末期しかリアルタイムでは見られませんでしたが、非常にスマートで強かったと言う気がします。そういう意味では、北の富士が後継者だと思うのですが、もっとやんちゃでした。あと、荘子を読むようになったのは、この人の四股名から来ています。
4位の白鵬は、現役なので伝説とは呼びにくいですが、引退してから評価はもっと上がると思います。優勝回数が伸びる人の特徴に、一人横綱として時代を支えた時期があるというのがどうしてもありますが、この人もその一人。
5位の北の湖は、リアルタイムで強さを日々実感したので、非常に印象が強いです。同時代のライヴァルの力を考えれば、優勝回数はもっとあって良いですし、連勝記録だって打ち立てていて良さそうなものです。この人の凄さは、巨体でありながら器用で俊敏だったことです。巡業の稽古を古くから見に行っていた人によると、大鵬の稽古はつまらない(判で付いたような同じ相撲ばかり)が、北の湖のは面白かったそうです(いろいろなことをやるから)。
7位の朝青龍は、辞めた経緯が悪くて過小評価されているように思います。一人横綱として土俵を引っ張り続けた功績や、アスリートとしての能力を考えれば、もっと評価されるべきと思っています。そういう意味で、相撲協会と言うのは冷たい組織だと思います。
8位の双葉山は、筆者の世代にとっては、まさにレジェンド。69連勝は、筆者が生きている内には破られないものと思っていましたが、記録は破られるものなのですね。
9位の初代若乃花は、現役時代を知りません。理事長時代には、良く言えば頑固親父、悪く言えば古い価値観の人だったと言う気がします。現役時代のフィルムを見ると、上体だけでない怪力の人だったのだなと思います。二子山部屋が今は名称としてはないのは、とても残念です。
11位の初代貴乃花も、北の湖や輪島と同時期で、リアルタイムで見ていました。女性人気が高かったのですが、いかにも線が細かった。優勝した時には綱取りの声も出ましたが、年6場所で負け越しや休場もある人が1回優勝すると、すぐ綱取りと言うのはいかにも甘かったという記憶があります。番組では北の富士のかばい手が放映されましたが、あれがかばい手でなかったら、何がかばい手なんだという気がします。戸田の世紀の大誤審でビデオ判定が導入されてから、単純に先に土が付いた方が負けという判定が進み、かばい手や死に体という概念が急速に薄れた時期の出来事でした。
12位の三代目若乃花は、恵まれない体格で横綱に辿り着いたことで、もっと評価されても良い気がします。しかし、記録で判断すると、こんな相場なんでしょうね。
13位の輪島もリアルタイム。休場が多くてイマイチな気もしますが、怪物北の湖を相手に互角に渡り合ったことは評価できます。あと小兵を捌くのが上手で、小兵トリオがブームだった頃も、輪島だけは泰然と受け止めていました。北の湖の方がバタバタしていたものです。
14位の千代の山は、かなり意外でした。筆者の世代でも、それほどネームインパクトがないので、今の時代の投票で健闘するとは思いませんでした。
17位の栃錦も理事長としての記憶しかありません。フィルムを見ると、土俵に根が生えたような安定感と、非常にしつこい取り口。所謂、土の匂いがする力士の一人。
18位の曙も、少し意外。優勝11回ですから、確かにランキングにいてもおかしくない成績。ただ、彼も若貴のライヴァルとして記憶に残る部分が強いような気がします。え、プロレスラーとしての評価ですか? うーん。
20位の小錦も、記録より記憶に残るタイプでしょうか。若手時代のスコップチョップで、品格の議論に晒されたこともあり、なんとなくランキング上位に押しにくい気もします。しかし、彼がいたから曙がいて、外国人力士の隆盛があるのだと思います。いや、その前に高見山がいてこそなんですが。
21位の柏戸は、実はぎりぎりで現役時代を見ていません。膝の硬さをカバーする速攻相撲で一世を風靡し、素質的には劣りながら柏鵬と並び称されたのはアスリートとしては大成功だったのでしょう。通好みの横綱の一人でしょうか。
22位の魁皇は、横綱になっていてもおかしくなかった大関の代表格。優勝5回は、パッとしない横綱と同じ水準。また、直近に白鵬に抜かれるまでは、通算最多勝の記録を持っていたのは周知の通り。
23位の北の富士は、NHKの解説をしていることが寄与しての順位でしょうか。舞の海も同様です。筆者は現役時代を知っていますが、ライヴァル玉の海が急逝するまでは、非常に魅力的な力士だったと思います。この人は変人ではありませんが、プレイボーイぶりでは物議を醸すことが多かったように思います。小学生には、あまり良く判りませんでしたが。速攻相撲ですが、柏戸同様に腰が高いままで進んでいき、最後に右からも左からも外掛けを繰り出すと言う、いかにもうっちゃられるリスクの高い相撲でした。それが、かばい手事件にも繋がった訳です。現役時代の言動から考えると、良い解説者になったものだと思います。
24位に二代目若乃花が入ったのは意外でした。優勝4回は、横綱としてはいかにも物足りない。二子山親方が、あいつだけが才能を生かせていないと最後まで心配していたのが印象的でした。どちらかと言えば、二枚目力士として記憶に残った感じです。後に横綱になる隆の里と一緒に青森でスカウトされて同じ列車で上京したのは、当時は有名な話し。体が大きく柔らかい若乃花が先に出世したのは妥当ながら、最終的には隆の里も優勝4回の横綱と追いつかれましたが。そう言えば、ランキングに隆の里がいないのは少し不思議です。
30位の若島津は驚きました。確かに魅力ある関取で人気もありました。しかし、記録的にはランキングに入るレベルではありません。会場に娘さんが来ていましたが、いないと思っていたとは正直なコメントでした。実は年間最多勝を取ったことがあり、横綱に成らなかった力士で年間最多勝を取ったのは、若島津と霧島だけです。