ちょっと久しぶりです。娘とのチャンネル権争いの都合で、見たり見なかったり。見逃してすぐNHKプラスを見れば良いのでしょうが、そこまでのモチベーションが足りないのです。
オウム事件は1990年代前半の大事件で、当時社会人5年目くらいだったので、オウムの主力幹部が同世代だったこともあって、いろいろな思いを抱えて見ていました。
今回は科捜研の服藤さんが、オウムのサリン製造プロセスの設計者である土谷正実を落とす場面をクライマックスに、その前の膨大な資料の読み込みから説き起こしました。
当初、捜査班は解らないことがあったら聞くから隣にいてくらいの感覚で頼んだそうです。しかし、服藤さんはそんな役割に甘んじるつもりはなく、押収してあったオウムの化学関連の資料を徹底的に読み込んだそうです。
作中の画面にも登場したサリン製造プロセスのフロー図を見つけたことで一気にサリン製造の実態に踏み込むことになり、サティアンのプラントの実地検分にも先頭で踏み込んだそうです。
そこで見た化学プラントの完成度の高さに驚いたと言うのは、当時のワイドショーなどでも少なからぬ科学関係コメンテーターが指摘していた通り。しかも、既に怪しい組織として知られていたので、タンクも配管も市販品を購入できずに自作していたと言うのですから驚きます。
土谷をキーマンとにらんで逮捕しましたが完全黙秘で何も話しません。そこで、服藤さんは自分が話してみると立候補して二人きりで話したと言います。
土谷はつくば大学の博士課程の学生の時に教団入りしており、当時の研究テーマはフォトクロ(光化学反応)だったそうです。筆者も同じころに大学にいましたが、当時のフォトクロは花形テーマで、これを任されたということは相当に嘱望されていたのだと思います。
服藤さんが「君は良い研究者だったようだね」と声を掛けると土谷が話し始めたと言うのは研究者同士での評価に飢えていたということでしょうか。
土谷は「オウムは天国だった」と述べていたということで、自分のやりたいテーマをやらせてもらえ、欲しいだけ予算がもらえたことを単純に子供のように喜んでいたようです。
最終的に科捜研への支援要請の期限が切れて、捜査本部を離れるときに本部にいた捜査陣全員から敬礼で送られたというエピソードで締めました。
今でこそ某ドラマのお陰で科捜研を誰でも知っていますが、当時は何をする組織かも一般には認識されておらず、隣に座ってくれてればいいよという本音を敬礼に変えて終結したことは科捜研の存在意義を確立したのでしょう。今回も見ごたえありました。
次回予告は、なんと「スケートボード」でした。これは異色ですねぇ。その次は傑作選で「ホテルニュージャパン火災」だそうです。工学的なネタはしばらくない模様。