ブルーvsグレー と フォーザピープル

同じGMTから相次いで発表された南北戦争のキャンペーンゲームとして両者を比較しておきたい。
カードゲームと、カードドリブンゲームという体裁の違いがあり、プレイタイムも全体で3時間くらいと、8時間くらいという感じかと思うので重さもだいぶん違う。そこらへんはすぐにわかる話しなので、実際のプレイの運用感の違いのところに踏み込んで考えてみよう。
ブルーvsグレーでは、軍はカードを展開して編成する。プレイでは東部戦線と西部戦線の区別しかなく、それぞれの戦線にいくつの編成をどのような規模で持っているかだけが重要になる。言い換えれば、その戦線のどこにいるかは定義されないし、そうしたことによって発生してくる作戦的な綾というものはない。
指揮官の配置の制約として上級司令官と下級司令官の区別があり、上級司令官になれる指揮官は決まった人物だけである。また上級司令官の中には部下にはならないという我侭者がいる。政治的に好かれていたかどうかという条件が付与されており、好かれていない総司令官は敗戦すると更迭されてリムーブされてしまうというルールがある。指揮官の能力としては率いることのできるカード枚数もしくは下部編成数という要素と、自身が戦闘にもたらす戦力と戦闘の結果に反映するイニシアチブとがある。このため全体としては指揮官の個性を良く反映しているし、指揮官人事の難しさも個々の人物について的確に反映しているように感じられる。
対してフォーザピープルでは、広いマップ上に個々の部隊が展開され位置が特定される。このため作戦的な機動の綾が反映され、これはマップボードゲームに慣れ親しんだプレイヤーにとってはとても嬉しいと思う。その一方で指揮官については、カードドリブンで重要な起動する作戦値のほかには攻撃・防御修整と、人事異動する際に問題となる政治的重要度がある。これは歴史的に重用された指揮官を重要な位置に付けやすく、そうでない抜擢人事をするとペナルティを払うようにする作用を果たしている。ただ、最近のソロプレイや対戦では南軍は作戦値1のヴァンドーンとジャクソンを軍司令官にするのが定番となっており、そのことに対して支払うペナルティより1のSCで起動できる軍が二個も生じるメリットの方が十分に大きいと感じられる。結果として、フォーザピープルは史実を大きく外れた将軍人事を許容するゲームだと言って良いと思うし、その結果、史実からは大きく逸脱するリスクが高いゲームだと思う。また、別の場所でも議論したが、南北戦争では下級司令官として活躍しながら、その成果をもって昇進した時に上級司令官としては大きな失敗を犯した事例が少なからずある。このことを考えると指揮官人事に自由度が高いことは、シミュレーションとしては若干問題意識に欠けるのではないかという気がする。
そういった意味では、下級司令官としての能力と上級司令官としての能力とを明確に分けて評価しているブルーvsグレーの方が指揮官人事という南北戦争の重要な側面に関する洞察的シミュレーションとしては優れていると言って良いだろう。また、史実性という点についてもブルーvsグレーのヒストリカルシナリオは、歴史順にカードが登場するため自由度が高いフォーザピープルよりも歴史追随性が高いような気がする。
もっともこの点については、ゲームプレイ的には問題がある。カードゲームはランダムなドローをどうマネージメントしていくかがプレイスキルの見せ所であり、互いの手札が見えないところでの駆け引きが醍醐味の一つである。ヒストリカルシナリオは、こうしたカードゲームと言う形態がもたらす大きなエンターテイメントを奪ってしまっており、折角のカードゲームというシステム選択の意義と齟齬がある気がする。
もちろん通常ルールでプレイすることが用意されている訳で、ヒストリカルシナリオは歴史性を追及するフレーバーおまけ設定と考えればゲーム自体の価値を揶揄するのは全くの的外れである。ただ、ヒストリカルシナリオにはそうした問題があるので、リプレイアビリティは低く、歴史を追体験するために一度やってみるという程度の位置付けだと思っておいた方が良いだろう。