○祈りの海を読む

bqsfgame2007-07-17

順序が「しあわせの理由」と逆になってしまったがイーガンの日本独自編集短編集第一弾。
なんと言っても表題作の「祈りの海」が素晴らしい。遠い未来、植民惑星では何故祖先が移民してきたのか、彼らがどんな技術を持っていたかが神話や宗教になってしまっている世界。その解釈も様々なものがあり、いくつもの宗教が存在している。技術を再発見する科学ルネサンスも起こっている。その時代の物語。いろいろな読み方ができると思うのだが、個人的にはそうした異質な世界をリアルな質感と登場人物で描いているのが素晴らしいと思った。
「貸金庫」は、生まれた時から意識が毎日トリップしていく人物の自分のアイデンティティ探索の物語。毎日違う人物になってしまう中、連続した記録を取るために付けている貸金庫の中の日記。
「キューティ」は、愛らしい幼児の時期の育児だけを味わえる商品という恐ろしい設定。これはサイエンスの恐ろしい未来ポテンシャルの一例だと思う。筆者の切り出し方はセンセーショナルではなく、あくまで淡々と視点人物の自分を見据える立場で書かれている。
「ぼくになることを」も、サイエンスの恐ろしい未来ポテンシャルの一例。生まれた時から脳内にネットワーク思考回路を埋めておき自分の脳の思考をシミュレートさせ、誤差を調整して完全に同じものにしていく。そして、脳細胞の劣化が始まる年齢になると切り替える‥という。しかし、本当に「切り替える」というような問題なのだろうか? 元の脳細胞の自分は死んで、ただの機械頭脳のサイボーグが残るだけではないだろうか? そして物語は皮肉な結末を迎える。非常に問題意識に富み、SFストーリーとして切れ味良くまとまった作品だと思う。
「放浪者の軌道」は、アフターホローコーストの荒廃した世界を描くタイプの一篇。「ユウ、届かぬ叫び」とか、「抱いて熱く」などを連想させる。それにしても冷静に考えると荒唐無稽な設定で、思想のアトラクタがあり、その思想ごとに人々が集まって重力場のように場を形成してそこから離れられなくなると言う話し。その中で、各重力場の間の軌道を縫って放浪するのが主人公たち。しかし、その放浪者の自由もまた別の制約に捕われているのではないかという‥。面白い。しかし、タッチは全然コメディでなく、飽くまでシリアスであり、主人公たちには深刻な悩みである。
「イェユーカ」も良くまとまった一篇。身に付けるタイプの体内捜査して問題を解決してしまう医療機器が普及して外科手術が過去の技術になりつつある世界。その中で、いまでも問題のある奇病の解決されていない地域に赴いた主人公が遭遇する現実と、その背後に潜む影の事情。物語は未来だが、問題意識は現代にもあると思われるテーマで興味深く読めた。読後感の重い一篇。