驚きました。
個人的には新入幕当時から知っていて、体格に不似合いな大きな相撲をとって脱臼を繰り返していたのが印象に残っています。大関どころか、幕内定着もできるだろうかと思っていたものです。しかし、そこから厳しい取り口を磨いて大横綱と呼ばれる存在になったのは凄いことです。
その一方で、それほどの存在でありながら理事長どころか理事でもない地位で亡くなったことには、いろいろと考えさせられます。九重部屋の歴史に由来する部分もありますが、それを言ったら九重部屋から分家した八角が理事長になっているのを説明できません。そういう意味では、九重部屋の歴史云々と言うより、本人の相撲社会での人望のなさなのでしょうかね。まぁ、閉鎖的な社会の話しなので、外から見えない部分も多々あるように思いますが。