家内が出掛けたので、娘と二人で見ました。
淡路海峡は海流が激しいので吊り橋しか架けられないというのが出発点。吊り橋を架けるには、まず海峡をパイロットロープを渡すのですが、海上交通が混雑していて船で横断はできないのでヘリコプターでというのが最初の難題。鉄塔側で受け取る鳶が「上に持ってきてくれればなんとかしちゃる」の言葉を信じて早朝に飛び立つヘリコプター。その言葉通りに淡路側鉄塔の上でロープ端を引き渡して、一路、神戸側へ。
パイロットロープで引いてメインケーブルを渡す訳ですが、なにせ全長3kmなので自重がすごい。そのためケーブルは太くせざるを得ず、また自重が重くなるというジレンマ。普通なら鋼索を個別に引き渡してから現場で撚るのですが、事前に撚った状態の鋼索を一気に引き渡すことに。しかし、全長3kmもの鋼索を本当にリワインドできるのか?
上司に「実験しておけ」と言われた神戸製鋼の担当者、穐山。実験で鋼索をリールに巻いてリワインドすると、撚ってある鋼索がバラバラになってしまう異常事象が発生。それを上司に報告すると上司の三田村は、「なにが問題か判ったじゃないか」とだけコメントしたと言い、具体的な解決策は指示しません。
鋼索牽引の当日、穐山の秘策はリールをできるだけ大きな径で巻くことでした。鋼索のような剛性の高い線条体を小半径で巻き上げると、内外の周長差による歪で撚りが解れてしまうのですね。なるほど。
スカイツリーが工期中に東日本大震災に見舞われたように、この大吊り橋は工期中に阪神淡路震災に見舞われたそうです。しかし、幸いにも二つの主塔は転倒することもなく、主塔間の距離がわずかに1m伸びただけだったそうです。
エンディングのどなたかのコメントにもありましたが、主塔間に鋼索が渡っていたことでそれぞれの主塔が助け合って支えられたのではないかと。
この橋を悲願と主張しながら白昼夢と揶揄された原口市長は、ついに完成を見ることなく世を去り、今は本人の希望によって橋が見える丘の上で眠られているそうです。
神戸側のたもとには、原口市長の答弁にあった名言「人生すべからく 夢なくしてはかないません」が刻まれているそうです。
この橋は、完成当時は世界最長の吊り橋でしたが、現在はダーダネルス海峡を渡るチャナッカレ1915橋に抜かれているそうです。そうですか、トルコに抜かれたのなら仕方がないですかね。
初回のスカイツリーと共に金属系エンジニアとしては、非常に感銘深く見ることができました。