マストアタックの中をサーフィンしていたら、この話題に行き当たって興味深く読みました。
結論から言えば「鐙が発明されてから」だと思いますが、このことはちゃんとウィキペディアにも記述されています。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%90%99?variant=zh-cn
と言うことで西晋時代(3から4世紀)ということになりますが、ヨーロッパに伝わったのはかなり遅く7世紀にならないと登場してきません。
GBOHシリーズでは、「カタフラクト」が初登場で、これが発売されて初めてプレイした時に騎兵同士のシナリオをやって愕然としてニフティに書き込んだのを鮮明に覚えています。
騎兵同士ですから移動力が大きく、先に活性化した方が接敵して射撃して一方的に勝ってしまうので、先手必勝に近いのです。「競技ゲームとして、これはどうなんだろう?」と述べたのですが、識者であるカデー会長のKOSさんは「この時代の騎兵戦はこんなものなのでは?」と冷静だった記憶があります。
鐙と、コンポジットボウ(
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A4%87%E5%90%88%E5%BC%93)の出現で騎兵同士の会敵戦は、先手必勝の必殺力を持つもの同士の早い者勝ちになってしまい、戦術級ゲームの妙味を破壊してしまったと理解しています。
GBOHシリーズは、当初企画を捨てて古代戦専用になっていきましたが、その要因の一つに中世以降の戦術戦闘が古代戦に比べて面白くないという現実もあったのかなと最近では思うようになりました。