懐かしの昭和プロレス:ドン荒川

bqsfgame2012-06-13

手順前後ですが45年生まれのドン荒川です。
高校時代は柔道、入門は直接新日本プロレス
前座時代は、先に紹介した永源とコミカルなプロレスを展開。また、同郷の栗栖とは、激しいファイトを展開して鹿児島選手権と呼ばれたそうです。
ストロングスタイルな新日本にあっては、初っきりのような存在で、あまりTVには写りませんでした。
しかし、選手の大量離脱で浮上してコブラのジュニアヘヴィー級王座に挑戦したりして露出するように。
第一次UWFとの対抗戦では、「ロープに振られても返ってこない」ことを従来のプロレスに対する否定の象徴としたUWF勢に反発。「意地でもロープに振ってやる」と発言して従来プロレスの象徴的な存在に。
新日本を離脱後は、SWS、藤原組を経てビッグマウスラウドへ。
永源もそうだが、この人もタニマチ受けが良く、人間関係の多彩さを誇りました。様々な団体を渡り歩けたのは、そうしたバックグラウンドがあってのことだったかも知れません。
荒川と言えば、奇抜なネーミングの多彩な固め技が有名。市役所固め、サラ金固めなど、その豊富さはプロレスファンの間では有名です。