ミラージュ小史

bqsfgame2012-09-19

フォークランドショウダウンには、ミラージュの一族が多数登場してきたので調べて見た。
ミラージュは、フランスの現代戦闘機のシリーズで、多くの国に輸出され実戦も少なからず戦っている。
ミラージュシリーズは、無尾翼デルタ翼戦闘機であることを特徴としている。最初に広く展開されたミラージュ3は1961年運用開始で、ヨーロッパの制式戦闘機としては初めてマッハ2を突破した。無尾翼デルタ翼機であることから空気抵抗が小さく、それが高速性能を可能にしている。ただし、この形状の欠点としてSTOL性能が悪く、艦載機としては採用にならなかった。
ミラージュ3は、イスラエル空軍で採用になり、第三次中東戦争(1967年)では対空、対地の両面で活躍した。その結果、イスラエルは後継機も導入する意思を示したが、政治的な関係悪化で実現しなかった。
このため、イスラエルは独自にミラージュシリーズの改造に取り組み、F4ファントムのエンジンを搭載し、カナード翼を装備したクフィール(獅子)を開発した。この機体は、漫画エリア88にも登場し、日本のウォーゲーマーの間でも知名度が高い。
話しが戻るが、クフィールの前にイスラエルがミラージュを改造した機種がネシェル(鷲)である。ネシェルは、クフィールの開発後にダガーに改称されアルゼンチン空軍に売却された。これがフォークランド紛争に登場するダガーである。つまり、ダガーもミラージュの一族である。
ミラージュシリーズの次の機種であるミラージュF1(1973年運用開始)は、STOL性能向上のために通常の二翼式で水平尾翼を装備した、シリーズとしては異例の機体となった。性能改善には成功したが、やはり海軍で採用にはならなかった。
ミラージュF1は広く世界中で採用されたが、その結果として湾岸戦争ではイラク側にも、多国籍軍側(フランス、クウェートなど)にもミラージュF1がある状態となり、敵味方識別の問題もあって多国籍軍側のミラージュF1は開戦時の運用を見合わせた。イラク側は、機体とパイロットの保護のために虎の子のミラージュをイランへ離脱させ、興味深いミラージュ対決は一切実現しなかった。
ミラージュ2000(1984年運用開始)は、再びシリーズ伝統の無尾翼デルタ翼に戻った。カナード翼は採用せず、複合材料を採用し一体成型を導入して小型化を図って離陸距離を短くする戦略を採った。残念ながらF−16やF/A−18との商戦で苦戦し、ミラージュシリーズの世界シェアを守り抜くことはできなかった。しかし、それでもフランスの他に、UAE、インド、ギリシャ、台湾、ブラジル、ペルーなどで採用され、世界で広く飛ぶ戦闘機の一つとなっている。2007年に生産を終了した。
ミラージュの一族は単発戦闘機である。
しかし、ミラージュF1がF−16に商戦で敗れたことから、ダッソー社は小型戦闘機市場での未来に危機感を持った。その結果、双発化した大型のミラージュの構想を立ち上げ、これをミラージュ2000の2倍と言う意味でミラージュ4000と称して開発した。こちらは、逆にF−15をマーケティング的にはターゲットにした物である。
 しかし、フランス空軍は大型戦闘機は不要と結論し関心を示さなかった。本国での採用実績がないことから、輸出商戦でも苦戦して結局採用が得られず試作機のみでミラージュ4000シリーズは終わることとなった。
 現在、ダッソー社はミラージュのシリーズを打ち切った形になるが、その後継機種はラファールになる。ラファールは、ついに純正ミラージュが採用しなかったカナード翼を採用したデルタ翼機である。ラファールの企画は、そもそもイギリス、ドイツ、フランスの3カ国による西側諸国共同開発企画だった。しかし、企画は分裂し、イギリスとドイツはタイフーンの開発へ進み、フランスが単独でラファールを開発することとなった。その原因はいくつかあったらしいが、大きな争点はフランス製エンジンの採用にあったらしい。ラファールは、フランス本国とインドで採用されているが、冷戦の終結もあり、採用はかつてのミラージュのようには広がっていない。