○私は闘うを読む

bqsfgame2014-09-01

最近の護憲発言で、にわかに話題の野中広務氏の回顧録の前半に当る著書である。
出版は1996年5月で、村山政権で自治大臣国家公安委員長を務めあげた後の時期に当る。野中氏はこの後も活躍するので、後半は「老兵は死なず」に続いている。
時期が時期なので、企画としては国家公安委員長として「オウム真理教」と戦った責任当事者の著作として売り出されたようだ。
そのため、巻頭が「オウム真理教との闘い」になっている。これはこれで当事者の記録として面白い。特にマスメディア、中でもテレビ局への批判は的を得ていると思う。
しかし、政治マニア向きには、「小沢一郎との闘い」や、「橋本政権成立への道」などの章が興味深い。
また、個人的には最後の章の「政治家の条件」が興味深かった。副題を付けるならば「蜷川京都府政との闘い」だろうか。
この終章を読むと、7期に及んだ蜷川京都府政の後半期は、あたかも「ゴルバチョフ回想録」の前半に出て来るような共産党一党独裁の弊害が顕著だったことが感じられる。利権の独占、利権の分配による組織強化、組織を防衛するための独占の強化と言う反対派を排除・沈黙させる鉄のルーチンである。その一方で、明治人である蜷川虎三の個人としての魅力にも言及している。
全体として見ると、自叙伝なので止むを得ないが、少し本人をクリーンに書きすぎている嫌いは否めない。野中氏の剛腕には、綺麗ごとで済まない部分も多々あったと思うが、そこは出てこない。
読んでいて全体に感じることは、「腹が据わっている」ことだろう。なので、「腹が据わっていない」政治家に対しては概ね厳しい意見が目立つ。典型的なのは総理になれなかった自民党総裁河野洋平に対する意見である。もっとも、河野洋平氏を低く評価しないと、村山政権後に河野総裁を下ろして橋本政権を成立させたことに大義がなくなってしまうので、必然的にそう評価せざるを得ないのかも知れない。
あと最終章で少しだけ触れられるが、野中氏が国政に出たのは、前尾、谷垣(禎一氏の父の専一氏)の両氏の補欠選挙である。この時に、革新が強い京都の状況を考えて、単独候補に絞って一議席を確実に取るべしとの声が多かったと言う。それを、二議席独占を目指して動いたのが、問題の小沢一郎であり、細かい票割りを計画して、僅差で二議席独占を達成したのが剛腕、小沢の最初の仕事だった。この票割り作業を「鮮やかな外科手術を見ているようだ」と絶賛したのが後に総理になる中曽根氏だと言う。
そんな訳で、自らを当選させてくれた恩人と対立したのだから政治の巡りあわせは判らない。谷垣氏から見れば、同じ補選での当選同期と言う極めて珍しい仲間である野中氏に後に加藤派解体されたのだから、これも巡り合わせである。
本書を読むと、手法はタカ派であり、敵とは絶対妥協しない人物だが、政策的にはハト派であり、弱者に寄り添う立場の人であることが判る。
中央政界に出てくるのが遅かったことから当選回数序列の政界では登り詰めることはなかったが、田中派が頂点から転落し始める時期に田中派に加入し、その後の政界の幾度かの再編のキーマンとして活躍した90年代の重要な政治家の一人であることは疑いない。