繋ぎの王者:アイアンシーク

bqsfgame2014-12-16

繋ぎの王者、その2。
今度は、バックランドからホーガンへと繋いだアイアン・シークの話し。
バックランド政権の有力挑戦者としては、ボビー・ダンカン、アイアン・シーク、マスクドスーパースター、ニコリ・ボルコフなどがいた。こうした顔ぶれが淘汰され、末期に新たに台頭してきた新世代がアドリアンアドニスボブ・オートンJr、ポール・オーンドーフ、ドン・ムラコなどだ。こうした新世代にそろそろバックランドが負けそうだと言う噂がしきりになった1983年12月26日、安全パイと見られた再契約選手のアイアン・シークに突然、バックランドは負けてしまった。
試合前に、シークがクシュティのトレーニングツールであるミールを回してみせると、負けず嫌いのバックランドは自分もやって見せようとして肩を痛めてしまう。試合ではシークが肩を集中攻撃して、最後は肩を狙ったキャメルクラッチが決まってバックランドが逃げられなくなり、セコンドのタオル投入によるTKOとなった。
アイアン・シークは、もともとはイランのアマレス選手で、その意味ではいかにもヴァーン・ガニアが好みそうなレスリング基盤のしっかりした選手。しかし、派手さはなく、グラハムのようにマイクアクションが得意な訳ではない。ところが、時代的にホメイニ師の台頭でイランが反米傾斜したことから、反イラン感情が高まって格好のエースヒールに浮上して歴代世界チャンピオンに名前を連ねることになった。巡り合せと言うのは不思議なものである。
バックランドが負傷欠場、次のベビーフェイスチャンピオン候補のホーガンが新日本との契約期間残があってMSG定期戦に出られず、この大舞台を任されたのが米国の愛国心の体現キャラクターであった鬼軍曹スローターだったと言うのは以前にも書いた通り。このブーツキャンプデスマッチは、個人的にはアメリカンプロレスのベストマッチだと思う。割れんばかりのUSAコール、鉄兜を被って入場してきて、いきなり鉄兜でヘッドバッドの先制攻撃を繰り出すスローター。最後は、背後からのシークの凶器ブーツ攻撃を間一髪でかわしてカウンターのサージャントラリーアート。会場全体が一体になって数えたカウント3。
いやぁ、アメリカンプロレスって良かったなぁ‥(^o^)