なつかしの昭和プロレス:WWF王者バックランド

bqsfgame2011-05-14

筆者にとっては、WWFチャンピオンと言えばバックランドである。少し若い人は圧倒的にホーガンと言うので、そこらへんで年齢がバレてしまう。
当時の三大団体のチャンピオンの中にあっては、バックランドは異色である。レイスやニックと比較して、1:若い、2:ベビーフェイスである、と言うのが決定的な違いだった。
NWAのチャンピオンは、広いNWAエリアを遠征して地元の英雄を相手に防衛戦をする都合で、基本的に地元以外ではヒールが前提である。
それに対してWWFのチャンピオンの第一の使命は、地元のMSGでの興行を満員札止めにすることである。このため、ベビーフェイスでも良いと言うのが決定的な違いである。ただし、ヒールでは不味いと言うことでもなく、スーパースター・ビリーグラハムは在位期間中、常にMSG定期戦をソールドアウトにした悪役チャンピオンだった。
NYの帝王と言えば、少し前まではサンマルチノだった。そのファイトは怪力による殴る・蹴る・締め上げる・抱え上げるだった。プロレスラーと言うのが常軌を逸した怪力の持主であるということを見せ付けることが売りだった。
WWFでは、サンマルチノ時代とは違う「新しいプロレス」を見せられる新チャンピオンとしてバックランドに注目して抜擢したと言われている。
しかし、シュートでも務まると言われるバックランドの抜群の格闘技センスは、素人目には難解に過ぎただろう。結果としてバックランドは、ランニング・アトミックドロップや、ジャンピング・パイルドライバーなどの華やかさのあるフィニッシングホールドを使う王者となり、WWFの怪力チャンピオンの系譜に近い姿に変容していった。
それでもレイスやニックと異なり反則負け防衛を旨とするようなことはなく、そこはWWFの明確な差異化になっていたと思う。
WWFの公式記録では猪木の王座は認められていないため、78年の王座奪取の後、バックランドが王座を明け渡すのは5年後の83年のアイアン・シーク戦と言うことになっている。この顛末はスローターの時に書いた通り。シークがクシュティのミール(棍棒のようなもの)を操って見せ、負けず嫌いのバックランドが自分でもやろうとして肩を故障。この肩を狙ったシークのキャメルクラッチでTKO敗北した。
バックランドが王座に返り咲いたのは職人チャンピオンだったブレット・ハートとのフェイバリットホールドマッチ(事前に指定しておいた自分の得意技によるフィニッシュ以外では決着しない)をチキンウィングフェイスロックで勝利した1994年のことである。既に11年前の過去の人だったバックランドは、翌週のTV収録ハウスマッチで、新世代の旗頭だったディーゼル(ケヴィン・ナッシュ)に敗北してアッと言う間に去って行った。
個人的な意見だが、バックランドは格闘家としては優秀だったが、非常に不器用なレスラーだったように思う。特に「団体のエースとは、会場を満員にさせることが使命である」と言う部分において成功したとは言いがたい。WWFは良く彼を5年も王者に付けておいたものだと思う。
しかし、バックランドによる「WWF王者は、他の王者と違って本当に強いものがなっている」と言う位置付けは、次の時代のホーガンを生み、それは結果としてWWFの全米侵攻を成功させた。その意味でバックランドと言う実力派チャンピオンの実験は長期的に見て最大の成果をもたらしたと言えるのではないだろうか。