なつかしの昭和プロレス:AWA王者ニック

bqsfgame2011-05-13

筆者の世代ではアメリカ三大団体にAWAは厳然と存在していた。
AWA王者と言えば、なんと言ってもニック・ボックウィンクルである。
若い頃から評価の高いレスラーだったと言うが、AWA戴冠は1975年、41才の時であり、意外に遅い。ミスターAWAであったバーン・ガニアから奪取した。そこからの13年間の半分ほどの期間が彼の王座であった。
一度目の失冠は、1980年にバーン・ガニアに対してであり、ガニアがチャンピオンとして引退するために一時譲渡したような実態だったらしい。
二度目は、ヨーロッパの英雄オットー・ワンツにまさかの敗北。1982年の出来事だった。期せずして翌年のIWGPに参加するワンツに箔を付けることとなった。
次は日本のプロレスファンの誰もが知る1984年222決戦。反則でも王座移動の特別ルールの下でジャンボ鶴田の挑戦を受けて東京で敗北した。
このカードは直後にリターンマッチでも組まれたが、その時の「挑戦者ニック」のレスリングを見た方は、実は彼が非常に強いレスラーであったことを痛感されたと思う。筆者もその一人だった。典型的なダーティーチャンプで挑戦者の良さ強さを引き出すことに長けたレスラーだったが、自分が挑戦者になるとゴング直後のフライングクロスチョップの奇襲など積極策に出て当時日本最強だった鶴田をかなりのところまで追い込んで見せた。ダテではAWA王者は務まらないと言うところを見せてくれた。
AWA本部は鶴田、マーテル、ハンセンと実力派王者を続けて試したが、結局のところ誰も数字が取れるチャンピオンにはならなかった。最後はハンセンから王座を剥奪して再びニックを新王者に指名するという冴えない顛末となった。この辺りがAWAと言う団体の命運がもはや定まっていた時期かと言う気がする。
ニックは一年後にAWA生え抜きの若手であるカート・ヘニングに破れてタイトル戦線からついに姿を消した。
ニックの名言に、「相手がワルツを踊れば私もワルツを踊り、ジルバを踊れば私もジルバを踊る」があるが、その名言の通り相手のスタイルに合わせて相手の良さを引き出し、そして最後はベルトはちゃんと持ち帰ると言う職人チャンピオンだった。トリプルHが自身のスタイルの見本としてニックの名前を挙げるが、ナルホドと思わされる。