なつかしの昭和プロレス:MSWAのビル・ワット

bqsfgame2011-05-15

昭和のアメリカプロレス3団体が3本柱だったと思うが、それ以外にもいろいろな団体があった。
ビル・ワットが中部三州(オクラホマルイジアナミシシッピ)で開催していたMSWAは、後にUWFと改称されてWWFの全米侵攻に対しても頑強に抵抗したことで知られている。
ビル・ワット本人は、それこそサンマルチノへの挑戦者としても知られる大ベテラン。しかし、非常に息が長く「世界のプロレス」で6人タッグマッチでマードックらをパートナーにしてキマイラを得意技のオクラホマ・スタンピードで投げ捨てたりしていた。
WWFの全米侵攻に対してはNWAのクロケットジュニアと手を組んで抗戦した。しかし、クロケットジュニア主導での全米逆攻勢によるコストアップで資金難に陥ってしまい、クロケットジュニアに興行権を売却して本人は撤退することとなった。
良くも悪くも典型的な南部人であり、悪い方の一例として人種差別主義者だったと言われている。マードックも人種差別主義者だっと言われるので、そこら辺で一脈通じるところがあったのかも知れない。