なつかしの昭和プロレス:WCW

bqsfgame2011-05-16

WWFの全米侵攻に当って意外な抵抗勢力とぶつかって一時撤退をした時期があるのは、プロレス通なら良くご存知のことだろう。
南部のメディア王だったテッド・ターナーは、WWFが南部のプロレス番組を買収してNYのプロレスを全米に押し付けに掛かったことを快く思わなかった。
伝統的なNWAの最後のプロモーターであったクロケットジュニアは、ビル・ワットのUWFを買い取って組織拡大してWWFと対抗したが、組織肥大に伴うコストアップで苦戦、ターナーに売却することとなった。
WCWは、もともとターナーの放映していたプロレス番組のタイトルであったのだが、上記のような経緯の中でNWAの傘下団体から後継団体へと移り変わっていき、最後はWWF対WCWのプロレス中継戦争を戦うこととなった。
WCWの生え抜きのスターとしては、スティングや、ゴールドバーグが挙げられるが、中期以降はWWFから積極的に有名レスラーを引き抜く作戦に転換。そのため、末期には、WWFで一代をなしたレスラーが大量に登場する奇妙な光景を見せた。
ホーガンがWWFから移籍してきて先に移籍していたナッシュ、ホールらと形成したNWOは巨大なムーブメントとなり一世を風靡した。
しかし、引き抜いた大物を重用するブッキングは、才能ある若手や中堅の反発を浴び、ジェリコらのラジカルズが逆にWWFへ離脱していくなど副作用も大きかった。
最後はWWFのシナリオライターだったヴィンス・ルッソーを引き抜くという非常手段に訴えたが新しい世代のスターを生み出し始めたWWFの勢いを逆転することはできずに団体崩壊した。