なつかしの昭和プロレスラー:テッド・デビアス

bqsfgame2011-06-30

ディック・スレーターの次にミズーリ王座に着いたのがテッド・デビアスである。
スレーターよりも早く1976年にファンク一家の舎弟として来日、いささか線が細いがセンスの良い期待の若手だった。
全日本プロレスではベビーフェイスとして活躍、筆者が良く記憶しているのは1982年のチャンピオンカーニバルで、準優勝の鶴田と同点3位に付けた。もっともロビンソンに譲ってもらった印象もあったが。
この頃がNWA王座有力候補だった時代で、その後、転出したブロディに代わってハンセンのパートナーとなってファンクスを裏切ってヒールターンし、悪役としてもやれるところを示し、実際、もう一息のところまで行っていたと思う。
1987年にWWFに登場(若い頃にも登場していたので再登場)、莫大な遺産をもらった鼻持ちならない二枚目ヒールとして一世を風靡した。
1988年のレッスルマニア4で、アンドレがホーガンを倒して王座を奪うと、素早く現金の入ったアタッシュケースを持ってリングに上がり、アンドレに金を渡して王座を買い取ったのは彼のクライマックスだろう。もちろんこんな王座移動は公認されず、デビアスは結局、WWFでも王座に辿り着けなかった。
その後はマネージャーとして活躍、WWFの往年のDVDを見るとあちらこちらで彼の姿を見ることができる。最後はWCWの引き抜き戦争でWCWへ移動して引退した。
引退後は宣教師をしていると言う。