なつかしの昭和プロレスラー:ディック・スレーター

bqsfgame2011-06-29

昭和プロレスシリーズ、今回は切口を変えて「あの人はどこへ消えた?」的なものをやろうかと。
前回、NWA王者ハーリー・レイスの話しをした。レイスが長期政権を築いた影に、万年王者候補で終ったレスラーが少なからずいた。思い出せる人を順に挙げて行こう。
最初は、喧嘩番長ディック・スレーター
1976年頃にジョージア王座を取ったのが出世のキッカケだと言う。バリバリの南部系レスラーで、いかにも南部レスラーらしい荒っぽいファイト振りだった。日本ではファンク一家の舎弟と言うことで、ファンク一家と同様にベビーフェイス扱いだった。しかし、アメリカでは気の短い乱暴者ヒールだったと言う。
1977年にNWA王座への登竜門と言われるミズーリ王座を奪取し、半年間に渡って防衛。これで俄然、次期王者候補と言われるようになった。
1981年に日本遠征でロビンソンと組んでインタータッグ挑戦が決まっていながら交通事故で欠場。これが天龍の出世のチャンスになったのは、当時のファンなら良く知るところ。
後遺症に苦しみながらも復帰して、南北戦争の南軍キャラクターでWWFにも参戦。マイク・シャープ・ジュニアやドン・ムラコと戦ったと言うが日本からは見えない位置に入ってしまった。
さらにAWAに転戦したが、若造のカート・ヘニングのボディガードをしていたと言うから落ちぶれたものだ。
1990年に南部ヘビー級王座に着いた辺りが最後の活躍なので、結構、息は長かった。
日本では全日本プロレスに度々来日し、かなりの活躍をしたのでご記憶の方も多いと思う。今は引退して小売業を営んでいると言う。