繋ぎの王者:サージャント・スローター

bqsfgame2014-12-17

繋ぎの王者、その3。
前回のアイアン・シークと戦ったアメリカの英雄、鬼軍曹スローターだが、大人の事情でWWFを解雇されてしまう。
彼がWWFに復帰したのは湾岸戦争の1990年。時節柄、愛国心キャラの彼の復帰はタイムリーと思われ、当然、ファンはベビーフェイスで復帰するものと思っていた。ところが、なんと仇敵アイアン・シークをマネージャーにしてイスラム陣営で登場。かくて史上最強の愛国者は、史上最悪の裏切者に変身したのだ。このヒールターンを称して今でも史上最大のヒールターンと呼ぶファンは数多い。
1991年1月のロイヤルランブルで、時のWWF王者ウルティメイト・ウォリアーに挑戦。エプロンサイドに登場したウォリアーの敵、ランディ・サヴェージがレフェリーのブラインドを突いて凶器でウォリアーの頭部に渾身の一撃。グロッキーの王者を引きずり起こして、形ばかりのエルボードロップを決めてフォールして、大人気のベビー時代に果たせなかった王座戴冠を実現した。
ホーガンの後継者として肝いりで王者にしたウォリアーの不人気ぶりにギブアップしたフロントの仕組んだ王者交代劇だが、人気者のホーガンに戻すに当ってヒールを挟む都合で誰にするか考えた末の決断。それにしても、次期王者候補とされていたサヴェージではなく、スローターに白羽の矢が立ったのは湾岸戦争あってのこと。アイアン・シークもそうだったが、巡り合せが生んだ王者の一人である。とは言え、もともとがWWFの功労者の一人だったスローターは、ウォリアーとの金網デスマッチのリマッチを2月に退けて防衛。そして、3月のレッスルマニア7で、ホーガンに敗北して繋ぎ王者の役目を終えた。
この時のフィニッシュホールドは、ギロチンドロップであった。
本稿を書く上で、ユーチューブをいろいろと見たのだが、日本ではホーガンと言えばアックスボンバーである。ところが、アメリカでは実はギロチンドロップだと言うことを再認識した。ホーガンの王座奪取の多くはギロチンドロップで、初戴冠のアイアン・シーク戦もギロチンドロップだった。