プロレス脚本家と言うお仕事

bqsfgame2014-10-02

プロレスにストーリーラインがあるのは、今では暗黙の了解です。
昔からあったと思われますが、半公式にプロレス団体が存在を認めたのは、WWFが株式上場する時だったと言われます。つまり、プロレス団体は、ファンの人気、より具体的にはテレビの視聴率を能動的にコントロールする手段を持っていると言うことが「対外的に団体の持続的な競争力を証明する上で必要」だったのではないかと愚考します。
したがって、そのストーリーラインを書くと言う職業が存在する訳です。
そのもっとも有名な人物が、ヴィンス・ルッソーです。残念ながら日本版ウィキペディアにはないのですが、英語版ウィキペディアには彼の項があり、懐かしく読みました。筆者が肌で感じて知っている部分について、紹介しておきましょう。
ルッソーが、リンダ・マクマホンに手紙を書いて「WWFマガジン」のライターの仕事を得たのは1992年だそうです。まだ、アティチュード路線になる前で、リンダはテレビに映るような存在ではありませんでした。ルッソーはエネルギッシュな仕事ぶりで、2年後に編集側に回ります。さらに2年後に、彼は新設されたWWFクリエイティブチームへと移ります。当時のWWFは、全米征服の野望が頓挫し、南部中心の連合体であるWCWの全国放送の反撃に逢い、毎週月曜日のプロレス番組視聴率戦争(マンデーナイトウォー)で苦戦を強いられていました。取り分け、WWFが育てた大物レスラーの相次ぐ引き抜きにより、レスラー陣容で見劣りするようになっていたのに加えて、WCWのNWOストーリーが大ヒットしたことが深刻な問題でした。
そこで、事態打開のために作られたのがクリエイティブチームです。このチームは、マンデーナイトウォーの視聴率戦争に勝つためにできることは何でもやるのが任務でした。この組織でルッソーは、伝説化する手腕を思う存分に揮います。それまでは業界では使われていなかった性的なギミック、冒涜的なギミック、犯罪ギミック、息つく暇もないストーリーの急転換などなど。
特に有名な物としては、WCWを解雇されてきたオースチンを権力と戦うヒーローに仕立て、ヴィンス・マクマホンを悪の権力者として表舞台に登場させて戦わせたストーリーラインです。このストーリーは大成功し、視聴率逆転へのキッカケとなり、パッとしない中堅だったオースチンを全米で一番数字の取れるレスラーへと成長させました。当時は知られていませんでしたが、後日譚として明かされた所では、このヴィンスとオースチンのストーリーは、WCWの引き抜き攻勢にあって、団体オーナーのヴィンスだけは引き抜かれないし、WCWを解雇されたオースチンならWCWに戻らないだろうと言う人選から生まれた瓢箪から駒のストーリーだったそうです。
また、聖書のエピソードをモチーフにしたアンダーテイカー&ケイン兄弟の遺恨譚は、冒涜的な内容でしたが二人の大型怪物レスラーの激突を印象的に彩りました。無軌道な不良集団であるDジェネレーションXは、その悪行にも関わらず圧倒的なファンの大声援を浴びました。人種差別を逆手に取ったロック様の出世劇も、新しいタイプのヒーローを業界に生み出しました。もちろん、後に検閲機構との戦いを招くことになるセーブル、ヴァル・ヴィーナス、ゴッドファーザーなどの性的な刺激の強いエピソードは、問題含みでしたが、それも含めて何でもありのアティチュード路線は大成功しました。
こうした何でもありの路線の中で、マクマホン一家は主要な登場人物としてリングに上がるようになりました。1999年9月に筆者がNYにホームステイに行ったのは、丁度、このアティチュード路線のクライマックスでした。時のチャンピオン、トリプルHが電撃的にDXを再結成し、婚約者のいたステファニー・マクマホンを略取誘拐してラスベガスで結婚してしまい、ステファニーの持つ株式を取得してWWFを乗っ取ってしまったのです。マッチメイク権を握ったトリプルHは、反対派のレスラーを冷遇したり制裁的な試合を組んだりします。こうしてWWFは暗黒時代(ギミック)に突入したのです。しかし、そんな中でも戦うことを止めなかったレスラーがいました。その名はザ・ロック、その友人のマンカインド。こうして改めて書くと茶番劇ですが、本当に面白く、毎回、次は一体どうなることかと思わされました。
こうした衝撃的なストーリーが展開している最中の1999年10月、突如、ヴィンス・ルッソーとWCWの契約が発表されます。資金力を背景にしたWCWの引き抜きが、ついにレスラーばかりかストーリーライターに及んだのです。
WCW移籍後のルッソーは、WWFで成功したモデルを過激化して運用しようとしましたが、残念ながら成功しませんでした。原因は、いろいろ言われており、WCWが先に高額で引き抜いた大物レスラーの契約書には、自分に関するストーリーラインについて拒否権を持つものがいたとも言われます。それではルッソーは自分のやりたいようにストーリーを書けないので、様々な軋轢が生じたと言います。また、この時期に伸び盛りの中堅レスラーが相次いでWWFへ移籍したことからWCWでは引き抜いた大物レスラーを過剰に厚遇していたのは事実なようです。とまれ、WCW内部は月を追って混乱を極め、最終的に崩壊していきました。このWCWの最終的な凋落の責任者として、しばしばルッソーの名前が挙げらています。一方で、ルッソーは自著「ロープオペラ」で反論しているそうです。
http://www.amazon.com/Rope-Opera-Killed-Vince-Russo/dp/1550228684/ref=pd_sim_b_1?ie=UTF8&refRID=1SH57P5ABCBE0TN695DE
いずれにせよ、90年代後半から2000年台前半の10年間、業界でもっとも大きな成功と、もっとも大きな失敗をした男として、彼は記憶に残っています。