なつかしの昭和プロレス:CWAテネシー

bqsfgame2011-05-20

NWA、AWA、WWFの三団体時代のその他の団体としては、先にビル・ワットのMSWAを紹介した。
もう一つ独立した路線で活路を開いていた組織としてテネシーを中心としたCWAがある。プロモーターとしては、ジェフ・ジャレットの父親のジェリー・ジャレットがやっていた。
此処の絶対的なエースだったのが、南部の帝王、ジェリー・ローラーである。
実際、ローラーは当時は日本から見れば、まだ見ぬ強豪だった。彼の地元での活躍ぶりはプロレス週刊誌などでも知ることが出来たが、それにしては所謂三大団体の王座などでは名前を聞かない。一体、どういうことなのか当時は不思議に思っていたものだ。
テリトリー的にはテネシーにケンタッキーを加えたくらいで、一応はNWAの提携団体だったらしい。しかし、独立色が強く、後には同じようなポジションだったエリックのWCCWと合併したりもする。
テネシーマットは、俗に無法地帯と言われるほど乱暴なファイトで知られ、ローラーも地元の英雄ではあるが反則ナックルパート攻撃で知られるダーティー・ヒーローだった。ブラスナックル選手権とか、ハードコア選手権とか言うような通常は反則であるものを認めた試合形式は、テネシー発が多いようだ。
後にジェリー・ローラーはベビーフェイスにターンし、悪役時代のマネージャーだったジミー・ハートが連れてくる悪の刺客を撃退するというストーリー展開に移った。この時期のローラーの地元での人気と活躍ぶりは、新日本マットでのアントニオ猪木に匹敵するものがあったと聞く。
末期にはCWAはNWAから離脱しAWAとの合併が浮上する。ローラーがAWAチャンピオンになったのは、この時期である。しかし、話しは頓挫してしまい、ローラーの王座も剥奪となった。AWAはほどなく崩壊。CWAはWCCWと合併して余命を繋いだが、最終的にはWWFの全米攻勢に屈することとなった。