なつかしの昭和プロレスラー:サージャント・スローター その2

bqsfgame2011-02-20

サージャント・スローターの晴れ舞台と言うと、世界のプロレスでも放映された「時のWWFチャンピオン、アイアン・シーク」とのブートキャンプデスマッチであろう。
1983年12月の定期戦で、若きNYの帝王バックランドは、試合前にシークの挑発に乗って肩を故障。試合ではシークがバックランドの肩を狙ったキャメルクラッチを繰り出し、最後はマネージャーのタオル投入によるTKOでシークが戴冠した。
そろそろバックランドは危なく次はホーガンと噂されていたが、まさかシークに負けるとは誰も思っておらず、結果として次に用意されていた挑戦者が同じヒールのアドニスだったこともあり、MSGのメインイベントは急にブックチェンジを要求された。
結局、シークを当時反米国家だったイランの代表と見立てて、アメリカ愛国キャラの代表として鬼軍曹スローターの登場と相成った。
この試合を見られた方は印象に残っていると思うが、チャンピオンのシークが先にリングイン。そして、スローターが入場してくると通路は合衆国旗を振るファンで一杯、会場を揺るがすようなUSAコール。その中を鉄兜をかぶったスローターが入場してくるやシークがスローターに襲い掛かる。スローターは鉄兜をかぶったままでヘッドバッド。混乱の中でゴングがなった。
最後はシークのブーツ凶器攻撃をダッキングでかわしたスローターが下から突き上げるようなサージャントラリーアート一閃、シークの体が空中で完全に一回転してマットに叩きつけられた。かくてスローターはノンタイトル戦ながら王者シークを完全にくだした。
惜しむらくはホーガンをプッシュしていたフロントの都合もあり、スローターはシークに挑戦できぬままにホーガンが新王座につき、ベビーフェイス同士と言うこともありスローターの王座挑戦の機会は失われてしまった。
彼がWWF王座につくのは、皮肉にも彼が史上最大のヒールターンを果たしてアメリカを売った裏切者としてアイアン・シークと結託してからのことになる。